雨の予兆
椎名林檎
雨の予兆
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あの日の夜のサロン。ジーグの首にも爪痕を残す瘴気に、蜥蜴の鱗と馴染む彼の肌色を模した下地を優しく重ねる。…消してあげる事がお客様に喜びを与えていくと確信してきたのに…何故だろう、ヤミィの手仕事で薄れいくそのシミを見ると、不思議と胸が痛い程悲しい…。それはジーグへの共感なのかそれとも…自分を投影しているのだろうか…消してはいけないものを見捨てるような罪悪感。
「…どんな経験で夜に落ちても、いつか周り巡って生まれ変わるの。だから…」
ジーグは人差し指でヤミィの口を優しく塞いだ。ハッとして我にかえる。彼はこの瘴気もその運命も、受け止め背負って尚前を真っ直ぐ向いていると分かっている。ならば、私が彼に投げかけた言葉はあまりに不自然だ…この言葉は本当にジーグに向けて言っていたのだろうか。私は…そんな動揺が伝わったのか、夜闇に鋭く光る蜥蜴の眼が問い掛ける。
「…さっきからどうした?砂漠の時のお前と別人みたいだ…何かあったのか…?」
なんでもないわと人差し指で彼の口を閉ざした。
…妙に記憶が頭を掠める。初めてキリエに来た日、1人前のメイク師になった日、下積みで苦労した日、自分の故郷を出ていく日…記憶が過去へと走っていく。ダメ!お願い…思い出したくないの!思い出したくない。私は僕は俺は…私達は…
いつの間に寝ていたのだろう。そして、どこからが夢だったのだろう…いや、本当は寝ていないのかもしれない…ベッドからガバッと体を起こしたヤミィは酷く汗をかいていた。体が熱い感覚があるのに、汗は酷く冷たく感じた。あぁ…と言葉にならない声がヤミィの喉から漏れだす。何も思い出したくない。思い出さないから何があったか記憶が曖昧だ…でも記憶を失ってはいない。だから慎重に、慎重に…今の自分を重ねなければ。
…カサ…ベッドから紙が落ちた。昨日ジーグから貰ったチラシ。そう言えばジーグも人自身の属性に興味があるって言ってたっけ…。貴方にピッタリの武器やオーダーメイドの専門道具お作りします…か。そういえば、武器をちゃんと所持した事はない、戦術はもっぱら魔法に頼りきりだ。普段なら武器など持とうとも思わないのに、姿の見えない妙な不安に駆られ、ジーグの元を訪れた。
「…嘘だろ…なんてな。いつかの仕返しだ」
何よそれと2人はクスクス笑った。まだ苦手意識は消えていないが、少しずつ関係は変化していた。ジーグは工房の中へと案内する。
「しかし、嘘だろって本当に思ってる。まさかお前が武器を求めに来るなんてな。仕事でも日常でも使わないのに何故…?」
「華麗に武器を操り、街のピンチを救う私…美しくない?最近外に出る事も多いから、やっぱり持つべきって思ったのよね」
いつもの鼻持ちならない態度に、ケッと顔をしかめて工房の奥へと何かを取りに戻った。手には山のような武器…スタンダードな剣や弓から、鞭、斧、槍、銃…全て試させられた。こんな重労働ならちゃんと注意書きに書きなさいよね!とヤミィの叫びが響く。最後に全ての属性の弾を試し打ちして、やっとヤミィは開放された。
ヤミィが去り、静まり返った工房に一人立つジーグ。結果も分かったし後は作るだけ…だが…
「なんか気持ちの悪い組み合わせだな…これじゃまるで自分を否定してるか、もう1人他の…」
無粋な詮索は野暮だ。ジーグは肩をすぼめ、今や愛用の道具箱を取り出して職人としての仕事を果たした。
「ねぇねぇねぇ!この私に相応しい武器がついに完成ですって!?見たいわ!早く!」
数週間後、再びヤミィは工房へ訪れた。
「待たせたな。これだ」
…え?何このちっちゃいの…宝石や細工の施された武器を想像したヤミィはガッカリする。
「なんだよその顔…これは腕に取り付ける小型ボウガンだ。やっぱりエルフだな…弓の相性が抜群だった。でもお前は仕事上荷物が多いだろ?だからコンパクトなボウガンにしたんだ。使わない時はさらに小さく畳んでしまえるんだ。ここを…」
複雑なカラクリを、説明を混じえてテキパキと手順を追って折り畳んで、ボウガンは安全で無駄のない形に収まった。よくこんな構造を思い付いて作れるな…ついヤミィの口は凄いと本音を零した。
「矢を引っ掛ける仕掛けに装飾をはめ込めるようにしてある。使わねぇ時はアクセサリーにして付けられる。ラリマーとペリドットだ…矢を引く所に加護の呪詛が書かれてるから、石が起動して矢に属性を与える。属性弾を色々持つより、相性を見てそれに特化した方が荷物も少なくていいしな」
そう言って2種類の指輪を手渡した。これは…?聞こうとする前に、ジーグが答える。
「水と回復の属性を起動させる…なぁ、前に属性は経験で培われるって言ったよな…。確かにメイクだし、分からなくはない…けど…あまりにお前が使う魔法と真逆なんだ。憑神も私達に大きな影響を与える。多少、似てたり障りのない属性に育つはずだ…なのに…なんか…」
「ありがとう!素敵ね、こんな素晴らしい武器!私の次に美しい宝石まで付けてもらって文句無いわ!見直しちゃったわ、ジーグ♡」
投げキッスをして楽しそうに工房を出るヤミィの背中に問い掛ける。
「…自分を否定する『何か』があるのか…!?」
パタン…問は彼の肩を掴めないまま、扉が閉じた。
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新しい武器を手に入れました。
(ジーグの武器屋 売上1)
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