nana

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🩵 見せて 隠れてしまうあなたの心 🏛 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 第7部〖蠱惑の売女と5番目の天使〗 Ⅱ. ずっと一緒よ  次の日から、エルテヤは約束通りマエルに街のことを教えてくれた。この街の名はアレキサンドリアで、海の向こうにあるロマルニア帝国という大国の属州なのだそうだ。初めて見た時随分と大きな街だと思っていたのに、どうやら人間世界はこの街よりずっと広く果てしないらしい。予想よりも発展していた人間世界を知り、マエルは目を丸くしてエルテヤの話に聞き入った。人々が食べるもの、身につけるもの、住んでいる建物、娯楽としているもの……まるで植物が水を吸い込むかのように情報を欲するマエルを見て、エルテヤは怪訝そうに眉をひそめた。 「あんたって、本当に何も知らないのね。ま、頼られるのは嫌いじゃないし、あたしが全部教えたげる」 「ありがとう。エルテヤは優しいんだね」  微笑むマエルをちらりと一瞥し、エルテヤはふんっと鼻を鳴らした。 「優しくなんてないわ。あたしは金貨が貰えるなら何でもするだけ。金貨を貯めれば、もうこんな暮らしをしなくて済むから」  エルテヤはそう呟くと、不意に黙りこみ俯いてしまった。煌びやかな容姿に不釣り合いなその様子を気にして、マエルは恐る恐る彼女の肩を叩く。 「エルテヤ?」 「……あんたがあんまりにもせがむから、調子に乗って話しすぎて疲れちゃったわ。ほら、ボーッと突っ立ってないで、お詫びに甘い飲み物でも買ってきなさい! 砕いたベリーとヨーグルトを冷やしたのがいいわ」  話しかけた途端、エルテヤははぐらかすように元の粗野な態度に戻り、マエルの背中をぐいぐいと押した。マエルは転ばないように慌てて足を踏み出すと、早くと急かす彼女の声を背に商店街へと走っていった。  そんな風にして時は過ぎ、二人はいつしか毎日隣で過ごすようになった。エルテヤはマエルといる時だけは無邪気に笑うようになり、昔の彼女を知っている街の人々はたいそう驚いた。 「エルテヤ、今日はどこでご飯を食べようか」 「そうね。天気がいいからいつもの丘にしましょ」  マエルが手のひらを差し出すと、エルテヤは素直に握ってくれた。少し前までは、彼女が自らスキンシップをすることなど考えられなかった。エルテヤは確かに自分に懐いてくれているのだ。そう確信したマエルは、思わず顔が綻ぶのを知覚した。 「何よ、急に笑いだして。気持ち悪いわね」 「ふふ、ごめん。エルテヤと一緒に過ごせるなんて、毎日幸せだなあと思って」 「……幸せ?」  その瞬間、エルテヤが息を呑み目を見開いた。マエルは彼女が驚いている理由が分からず首を傾げる。 「どうして驚いているの?」 「だって、あんた、こんな生活が幸せだと思うの? 毎日毎日じじい共の顔色を伺って、惨めな気持ちになって、病気になって死んでく子だって沢山いるのよ。そりゃあ食べることには困らないから、奴隷だった頃よりはマシだけど……。でも、あたしはいつか絶対に、この街から逃げ出してやるわ」  触れた手のひらに、強く鋭い力が加わった。エルテヤはぎゅっとマエルの手を握り返していた。決意が秘められた厳かな口調に、マエルは何も言わず自身の手にも力を込めた。 「じゃあ、お金が溜まったら一緒に街を出よう。わたしはエルテヤといられるなら、何処へ行ったって幸せなんだ。だから、二人でエルテヤの幸せを探しに行こう」 「あんた……。ふふ、あたしって愛されてるわねえ」  エルテヤは得意げに口にすると、舞踊音楽のように晴れやかな笑い声をあげた。 「良いわ。あたしたちずっと一緒よ。裏切ったら殺してやるんだから」  ぬくみと花の匂いをまとった春風が、そっと金糸雀色の髪を揺らす。その光景を見て、マエルはやはり幸せな日々だと微笑むのだった。 ‧✧̣̥̇‧  マエルがアレキサンドリアの街へやって来てから数年。エルテヤの容貌は、あどけなさの残る愛らしい姿から洗練された大人の娘へと変化しつつあった。それに合わせるように、マエルも自身の姿を大人びた雰囲気へと変化させていった。もう街で二人のことを知らない者はいないほど、二人は多くの人の憧れの的になっていた。  そんなある日、街に見慣れぬ青年が現れるようになった。彼は海辺の街に憧れてロマルニア帝国からやって来たのだという。街では、その正体は名の知れた貴族家の次男坊であるとの噂が飛び交っていた。確かに、身につけている衣服は見るからに上等で、綺麗に磨かれた髪と人辺りの良さそうな笑顔は育ちの良さを想像させた。  彼は、エルテヤの好きなベリーとヨーグルトのジュースを売っている店によく出入りしているようだった。二人が店で鉢合わせる頻度は次第に増え、仲睦まじく話す姿は、誰の目から見ても微笑ましい関係性に映っていた。  マエルは、青年とエルテヤの仲が友人の域を越えようとしていることを察した。けれど、敢えて後押しするような言葉はかけなかった。おしゃべりなはずのエルテヤは、青年にだけは自分の素性を一切明かそうとしなかったからだ。彼女はきっと、自分の身分を隠したがっている。貴族である青年と、奴隷上がりの娼婦である自分が結ばれるはずは無いのだと、心のどこかで気づいているのだ。だが、エルテヤは諦められないのだろう。叶わない恋だと知りながらも、鮮やかな日々が、胸が踊る瞬間が、あと一日だけでも長く続いてほしいと願っている。その気持ちは、マエルにも分かる気がした。マエルがエルテヤに抱いている気持ちは、恋とよく似ていた。だからこそ、マエルは大好きなエルテヤの恋路を邪魔したくはないと思ったのだ。  しかし、優しく晴れ渡る毎日は、ある日突然雷雨へと移り変わってしまった。いつものようにエルテヤが青年に会いに行くと、そこに笑顔の彼はいなかった。彼の後ろにはいつぞやの暴漢たちが立っていて、醜悪なにやけ顔をエルテヤに向けていた。 「おっ、売女様の登場だ」 「あんときゃよくも俺たちに恥をかかせてくれたな」 「旦那、この女は金さえ積めば誰にでも言いよるアバズレ女ですぜ」  囃し立てるならず者たちの真ん中で、青年は失望したような青い表情でエルテヤを見つめていた。乾いた口元から、震えたテノールが零れる。 「彼らの話は本当なのかい、エルテヤ? 君は、商家の娘ではなかったのかい?」 「あ……あ、あたしは……」  エルテヤは何も言えなかった。嘘をついていたのは真実だ。言い逃れすることなど出来ない。けれど、こんなのはあんまりではないか。この数年間、街ですれ違う暴漢たちが一度もエルテヤに突っかかってこなかったことの意味がようやく分かった。彼らは、エルテヤが一番苦しむ瞬間をじっと待っていたのだ。そして今、彼らのどす黒い復讐は果たされた。その事に気がついた途端、気丈なエルテヤの心は、地面に叩きつけられた硝子みたいに、派手な音を立てて砕け散った。 「ごめんなさい、あたし……!」 「待ってくれ、エルテヤ!」  青年の声が彼女を引き留めようとしたが、エルテヤは一度も振り向くことなく街を駆け抜けていった。溢れ出す涙が風を受けて顔いっぱいに広がり、ぐしゃぐしゃになった表情のまま、エルテヤは丘の上で待っていたマエルの隣で蹲った。マエルは一瞬目を見開いたあと、全てを悟って彼女の背を抱こうとした。しかし…… 「あっちいってよ! この場所譲りなさいよ。あたしは、今一人になりたいの」  はたかれた指先がジンジンと痛む。けれど、マエルはそんな痛みよりも目の前の涙の方が心配だった。一歩ずつ彼女に近づいて、マエルはエルテヤと背中合わせに腰を下ろした。 「っ! だから、一人にしろって言ってるでしょ!」 「出来ないよ。泣いているきみを、置いてはいけない」 「うるさい! あんた変よ。こんな生活を幸せって言うし、あたしに怒鳴られても逃げようしないし!」  振り返ったエルテヤは、涙で腫れた目で思い切りマエルを睨みつけると、ぎゅっと握った拳をマエルの背中に何度も振り降ろした。鈍い音と同時に何度も身体が揺れる。けれど、マエルは抵抗も反撃もしなかった。ただ一言、言い聞かせるように、こう呟いた。 「だって、約束したでしょ。ずっと一緒よ」 「……!」  エルテヤの手がピタリと止んで、代わりにずっしりした重みがマエルの背に加わった。顔を押しつけて、背にしがみつくように座り込んだエルテヤは、そうして長い間泣き続けていた。  やがて、泣き疲れたエルテヤの口から微かな寝息が聞こえ始めた頃、マエルはそっと背中から翼を伸ばし、柔らかく触れながらエルテヤの身体を包み込んだ。冷たい風からも、強い陽射しからも、いわれなき視線からも、残酷な言葉からも、必ず守り抜くための決意の表れだ。翼の揺籃で眠る少女は、いつしか安心したように、いたいけな微笑みをたたえていた。 ‧✧̣̥̇‧  エルテヤを追いかけてきた青年と暴漢たちは、そこで奇妙なものを目にした。丘の上で眠るエルテヤの傍に、大きな翼を広げた人影が寄り添っていたのだ。 「あれは……何だ?」 「顔は人間に似ているが、どう見ても人間じゃねえ。きっと、化け物だ」 「あの女、化け物と繋がってやがったのか?」 「そんな、エルテヤ、君は……」  暴漢と青年は顔を見合わせると、腰に携えた短剣を取り出して慎重に歩みを進めたのだった。 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 一人にして欲しいと  あなたは突き放すけれど 本当は胸の中にあるものを  覗かれたくないのでしょう? 怒り 恐れ 悲しみ 抱えきれぬ夜 でも口にできない 聞かせて 隠そうとするあなたの声を 見せて 隠れてしまうあなたの心 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 🐋5番目の天使「マエル」cv.茶屋道るな https://nana-music.com/users/7521125 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 前節 Ⅰ. 春を鬻ぐ街 (楽曲: 🐋🌕死と嘆きと風の都/Sound Horizon) https://nana-music.com/sounds/06cf25c7 次節 Ⅲ. 虹の雨 (楽曲: 🌕美しきもの/Sound Horizon) https://nana-music.com/sounds/06cfaf0a #ロマルニア帝国の聖典より #心のそばに #竜とそばかすの姫 #Belle #中村佳穂 #くまぴあ

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