朱隠し
志方あきこ
🩵 歪み歪んだこの絆 🏛 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 第5部〖カインとアベルと3番目の天使〗 Ⅰ. 人間の世界 身の上話を終えたホロンは、先程の悲しみの影など微塵も見えない柔和な微笑みでエクレシアたちを見下ろした。 『聞いてくださりありがとうございます、友よ。わたくしは、無事こうして役目を続けられることを喜ばしく思います』 僅かに震えていたはずの声は、今ではもうしっかりと芯の通った音色に変わっていた。いくらAIで再現されたものとはいえ、その切り替えようには目を見張るものがある。エクレシアは、ホロンという女性が持つ強さを感じずにはいられなかった。そして、惹き込まれるような語り口調は、やはりメギドにとてもよく似ていた。 『それでは話を再開いたしましょう。次に語るは、初めて人間の世に降り立った3番目の天使と、愛に生き愛が故に溺れてしまった、哀しき兄弟の物語』 ‧✧̣̥̇‧ 2番目の天使リエルと知恵の蛇ルシファーが天界に大穴を開けてから数百年。天界にはこれといった事件は起こらず、不変で穏やかな日々が続いていた。そこで神様は、長らく降り立つことを許さなかった人間世界への移動許可を、天使たちに与えることにした。 いちばん最初に興味を示したのは、やはり行動派な2番目の天使リエルだったが、悪戯に悪戯を重ねたせいで神様から目をつけられていた。そのため、彼はその切符を渋々ひとつ下の弟──3番目の天使ファエルに譲ることにした。かくして、ファエルは天使の中で初めて人間世界へ赴くことになったのだった。 「神様、わたしは人の世でどんな成果をあげればよろしいでしょうか?」 「ファエルよ。あなたは愛を司る天使ですから、その慈愛に満ちた眼差しと行動で人々を導いてゆきなさい」 「人間に愛を与えれば良いのですね。承知しました」 ファエルは二つ返事で頷くと、早速下界へと降りていこうとした。しかし、その直前神様が彼を呼び止めた。 「ファエル、これだけは覚えておきなさい。人間は光と闇が混在している非常に脆い存在です。己が身を呈して仲間を守ることもあれば、負の感情に狂わされ同族を殺めてしまうこともある。どちらも人間で、どちらも真実です。その定義を歪めることだけは、天使のあなたでさえも出来ません。良いですね?」 「はい神様。充分に承知しております」 ファエルはさっぱりとした表情で振り返り、またも二つ返事で頷いた。人間は不安定で愚かな存在である。だからわたしが愛をもって、彼らを救済するのだ。 軽やかな足取りで、ファエルは今度こそ人間の世界へと降りていった。その後ろ姿を見つめながら、神様はそっと目を伏せる。きっと、彼の行く先は思い通りにならないことばかりになるだろう。それもまた学びだと、神様は静かに微笑んだ。 ‧✧̣̥̇‧ 人間の世界にやってきたファエルは、まず初めに人間を試すことにした。草木生い茂る山道の途中に倒れた振りをして、助けてくれた人間とそうでない人間を見極めようと思ったのだ。そして、助けてくれた人間には小さなの恩恵を、助けなかった者にはささやかな罰を与えようとも。しかし、ファエルの作戦はものの数時間で意味を成さなくなった。 「おかしい……良い人間と悪い人間、普通は半々いるものじゃないの? 何故誰もわたしを助けない?」 ぺたりと地面に顔を伏せ、ファエルは恨みがましそうにブツブツと呟く。その間にも、彼の横を歩く人々は、怪訝そうな顔で彼を見つめながらもさらっと通り過ぎてしまう。 実に非道だ。何が良い面もある、だ。どいつもこいつも歪みだらけの真っ黒ではないか。 「もういい。帰ろう。人間ごときに期待したわたしが馬鹿だった」 むくりと上体を起こし土と草を払う。神様になんて言い訳をしようかと考えながら、よろよろと立ち上がろうとするファエル。その時だった。若い二つの声が彼を呼び止めた。 「おい、お前大丈夫か!? 全身土で汚れているじゃないか! 怪我はしてないか?」 「服もボロボロだ。どうぞ、僕の上着を使ってください」 「きみ達は……」 ファエルの目の前に現れたのは、子どもと大人の狭間にいるような顔立ちの、二人の少年だった。目元がよく似ているところを見るに、恐らくは兄弟なのだろう。 「俺はカイン。この道を下って東に行ったところにある村の農園の主だ。こっちは弟のアベル。農園で羊飼いをしている。お前は?」 「わたしは……ファエル。それ以外は、分からない」 「ファエルさん、ですね。ひとまずは僕たちの家に行きましょう。帰ればお湯と食料がある」 アベルという名の少年が、優しげな銀の瞳でファエルを見つめた。差し出された白い手を握るとほんのりと温かく、何故だか天界の安らかな空を思い起こさせた。 「ファエル、俺たちと来るか?」 「一緒にうちへ帰りましょう」 「うん……ありがとう」 この心優しい人間たちに免じて、もう少しだけこの世界にいてやろう。気がつくと、ファエルのささくれだった気持ちはどこかへ消えてしまっていた。両の手を兄弟に引かれながら、ファエルは山道にしっかりと足をつけ、明かりのある方角に向かって歩き出した。 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── まほらの戸に立つ産土へ 手向けるは椿花 夢路の社の其の奥に よもすがら咲き匂う 捻れの街角夕暮れに 影法師誰を想う からから廻るは 風車 誘われ君を想う ないしょ ないしょ きこえくるのは よいの さかいの かぐらうた うたえ あかやあかしやあやかしの 鳥居 越えたその向こう 歪み歪んだこの心 すべてあいして喰らいましょう あかやあかしやあやかしの ゆれる狐火あざやかに 歪み歪んだこの絆 すべてあいして喰らいましょう ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 🥂3番目の天使「ファエル」cv.日向ひなの https://nana-music.com/users/2284271 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 前章 第4部 〖失楽園:ロマルニア帝国の聖典より〗 前節 Ⅱ.伝導 (楽曲: ☸️You were there/ICO より) https://nana-music.com/sounds/06cd6b0a Ⅱ. 農園に来たる春 (楽曲: 🤍白色蜉蝣/Aimer) https://nana-music.com/sounds/06cdca65 #ロマルニア帝国の聖典より
