青のすみか
キタニタツヤ
🩵 まるで、静かな恋のような 🏛 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 第3部〖知恵の蛇と2番目の天使〗 Ⅲ.楽園に空いた穴 ルシファーの手を引いて、木の実から逃げるように足早に歩いていたリエルは、やがて昼寝をしていた大きな木の元まで帰ると、くるりと振り返り凄みのある表情でルシファーの肩を掴んだ。 「あの果実をどこで見つけてきたの?」 「反対側へ、真っ直ぐ行った先に、大きな気があったんだ。そこで見つけた」 「……。明日ここを発とう。ルシファー、キミの気持ちは嬉しいけど、もう絶対にあの果実を取ってきたりしないで。あれはただの木の実じゃない。キミの手には負えない、恐ろしいものなんだ」 リエルの表情は真剣そのもので、いつもは快活に開いている大口も、今日は何も受け入れないとばかりにピタリと閉じている。その態度に圧倒されたルシファーは、額に汗をかきながらも、しっかりと頷いた。 「分かった。もうしない」 「……! 良かったぁ! キミは、ボクにとって大切なひとだから、その、危険な目にはあってほしくなくて」 ルシファーの答えを聞いた途端、リエルはふにゃりと気が抜けたように口を開いた。心なしか顔がほんのり赤くなっているような気がして、ルシファーは思わず一歩後ずさる。 「な、何だい、アンタらしくもないな。からかうのはやめなよ」 「からかってなんかないよ」 張り詰めた薄氷のような声が、ルシファーの耳に届く。リエルを取り巻く空気が、また変化した。 「ボクは、ボクは叶うことならずっとキミとこうして、旅をしていたいよ。これからもキミの隣で、誰よりも近くで、一緒に過ごしていたい。……きっと、キミが聞かせてくれた豊穣の神のお話とおんなじなんだ。ボクは、キミが……」 「それ以上言うんじゃないよ! もし言ったら、この牙で噛み付くよ!」 ルシファーの鋭い金切り声が、リエルの言葉の先を遮った。彼女は手を必死に振り払って、踵を返し来た道を駆けていく。 「待って、待ってよルシファー! 急にどうしたの!?」 「どうかしてるのはアンタの方だろ! どうせアタシのことが好きだとか、愛してるだとか言うつもり何だろうが、それは気の迷いってもんだよ! 」 「どうして! ボクは心からキミを想ってる!」 伸ばしたリエルの細い指は、あと少しのところで空を掴んだ。ルシファーは目に涙を滲ませながら、それでも走り続けた。 「馬鹿なことを言うんじゃないよ。アンタは神様のお気に入りで、アタシは少しばかり知恵があるだけのただの蛇だ。最初から、釣り合うはずがなかったんだよ。分かったなら、もう何処かへ行ってくれ!」 「嫌だ!」 ルシファーの足がもつれた瞬間を、リエルは逃さなかった。地面に倒れ込む彼女を庇うように、リエルはその身体を抱きとめた。 「じゃあどうして、そんなに悲しそうな顔をしてるんだよ。ボクとキミの間には、神様も運命も関係ないでしょ?」 「……でも、違う種族同士で愛し合う者なんて、天界にはひとりだって居ないじゃないか。それは追放の対象にならないのか? 悪ではないと言い切れるか?」 ルシファーが地面に手を着いた瞬間、その下で何かが潰れる音がした。手のひらを裏返してみると、そこには土と混じったあの果実の欠片がべったりと張り付いていた。 「アタシがずっと一人だったのは、蛇のくせに人の言葉を話す知性があったから。そのせいで同族には忌み嫌われていた。アタシと一緒にいるせいで、アンタまで気味悪がられるようなことがあったら、アタシはとても耐えられない」 ルシファーは顔を上げ、左右で違う色の宝石を潤ませた。リエルが息を呑んだ時にはもう遅く、彼女は長い舌先で手のひらについた果実の欠片を掬い、飲み込んでしまった。 「ルシファー!」 果実を飲み込んだ途端、ルシファーの足元からドス黒い煙が湧き出し、あっという間に彼女の身体を取り巻いた。煙に誘われるように、美しい黒髪も、スラリと長い手足も、彼女の全てに闇がのしかかり、ズブズブと沈んでいく。やがて、ルシファーが立っていたはずの地面には大きな穴が開き、闇に包まれた彼女は奈落へ向かって加速を始めた。その時だった。 「させない! ルシファーはこれからも、ボクと旅をするんだ!」 力強く叩くような音が辺りに響き渡った。穴の縁に手をかけたリエルが、落ちていくルシファーの片手を掴んだのだ。ルシファーは目を丸くして、細長い瞳孔をゆらゆらと泳がせる。 「リエル、アンタ、闇が移ってしまうよ……!」 「構うもんか。キミが居なくなるよりずっとましだ。ねえ、ルシファー。そんなつまんないこと言わないでよ。ボクはキミのこと気にいったよ。何百年だって何千年だって、キミの傍にいられるなら、いつまで経っても飽きないや」 重さに耐え身体を震わせながらも、リエルは笑顔を崩さなかった。 「この気持ちが、悪であるはずないじゃないか」 きっぱりと言い放ち、リエルは片腕に全身の力を込めた。翼を震わせ、歯を食いしばりながら、自身の光の中へルシファーを引き寄せるように腕を引く。懸命なリエルの行動に、ルシファーもようやく我に返ると、足をばたつかせて闇を振り落とした。やがて、数時間にも思える長い攻防戦の後、ついにルシファーは天界へと引き上げられた。彼女は舌先に残っていた果実の欠片を草原に吐き出すと、リエルにしがみついた。 「ああ、アンタは何て馬鹿なんだい! でも、アタシはもっと大馬鹿者だ。助けてくれてありがとう」 「お礼はいいよ。キミがまたボクの隣に帰ってきてくれただけで嬉しいんだ」 ルシファーの頬についた葉を払いながら、リエルは彼女の後ろに目を向ける。 「ところでこれ、どうしよっか」 「これは言い逃れ出来ないな……すまない」 二人の後ろには、闇によって出来た大穴が、風を吸い込む不気味な音を立てながら存在していた。申し訳なさそうに縮こまるルシファーを見て、リエルは彼女を励ますようにいつもの軽快な仕草で手を叩く。 「神様には、ボクがイタズラしたせいでこうなりましたって言っておくよ。だからそんな顔しないでよ」 「だが、アンタに罪を背負わせることになってしまう」 「いいのいいの。これくらいのイタズラなら、今まで沢山やってきたから! ひとつ増えたくらい何てことないよ。ふふ、ボクの武勇伝聞きたい?」 「……アンタってやつは」 ルシファーの顔は自然と綻び、二人は同時に声を上げて笑った。雲は変わらず穏やかに流れ、何処までも澄んだ青空だけが、二人を見下ろしていた。 この日生まれた大穴は、後に地獄への入り口と呼ばれることになるのだが、それはまた別の話。 ‧✧̣̥̇‧ 天使と蛇の恋物語を終えたメギドは、それまでと比べて柔らかな表情をしているように見えた。隣に座るニネヴェも、うっとりと手を組み年相応の反応を見せている。恋愛の話に疎いエクレシアは、ただ一人真顔のまま不可解そうに首を傾げた。 「2番目の天使は随分と俗っぽいね。天使じゃないみたいだ。まあ、これは他の書物の記述と大差ない情報だったけれど」 同じ姿勢でいたため凝り固まった肩をぐるぐると回しながら、エクレシアは再びメギドを見上げた。 『2番目の天使様の話はこれで終いとしよう。ミカ様はこの後も、人間世界と関わりを持った様々な天使の話をしてくださった。私はそれを必死で書き留め、部屋の隅に貯蔵していった。やがて、ミカ様が天にお帰りになると、私は弟子の修道女ホロンに今までのことを伝え、共に新たな書物を編纂することとなった』 メギドの像は、そこでふっと微笑んだ。今までの柔和な表情ではなく、何処か寂しげに見えたのは気のせいだろうか。 『それでは未来の同胞たちよ。さようなら』 今まで口にしたことも無かった別れの挨拶に、エクレシアは一瞬眉をひそめたが、それ以上気にかけることもなくすぐに機械の電源を落とした。これがメギドの最後の言葉になろうとは、この時のエクレシアには知る由もなかった。 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 🐍どこまでも続くような青の季節は 四つ並ぶ眼の前を遮るものは何もない 🪩アスファルト、蝉時雨を反射して きみという沈黙が聞こえなくなる 🐍この日々が色褪せる 🪩僕と違うきみの匂いを知ってしまっても 🐍置き忘れてきた永遠の底に 🪩今でも 🪩🐍青が棲んでいる 今でも青は澄んでいる 🪩どんな祈りも言葉も 近づけるのに、届かなかった 🪩🐍まるで、静かな恋のような 頬を伝った夏のような色のなか 🐍きみを呪う言葉がずっと喉の奥につかえてる 🪩「また会えるよね」って、 🐍声にならない声 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 🪩2番目の天使「リエル」cv.白水 https://nana-music.com/users/10113554 🐍ルシファー cv. RAKKO https://nana-music.com/users/5226056 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 前節 Ⅱ.追放 (楽曲: 🐍魔女/すずきP) https://nana-music.com/sounds/06cc89fa 次章 第4部 〖失楽園:ロマルニア帝国の聖典より〗 次節 Ⅰ. メギドによる福音書 〜彼の死後、修道女ホロンが書き記したもの〜 (楽曲: ⛪️☸️探し人の紡ぎ歌/未来古代楽団) https://nana-music.com/sounds/06cd28db #青のすみか #キタニタツヤ #ロマルニア帝国の聖典より
