nana

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🎡 死ぬ前にもう一杯 🎠 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 第21幕『呑まれてしまえ!』  ルチアと出会って数ヶ月。その間、シェスタは度々彼女の住む町を訪れていた。  『面倒な田舎娘だ、二度と関わるまい』と思っていたはずなのに、言葉を交わしてゆけばゆくほど、シェスタは彼女の底無しの笑顔に引き込まれていった。  ルチアはよく喋りよく笑う、太陽のように逞しい女だった。シェスタの好みとはまるで正反対だ。シェスタは本来、色気のある謎めいた女を好んでいたのだ。それ故に、シェスタが幼少の頃からファミリーに属する構成員たちは、いそいそと町へ赴くシェスタを遊び半分にからかっていた。 「ボスのご子息が田舎娘にご乱心とはね」 「お前のことだ。もう手は出したんだろう?」  煙草の臭いが染みついた彼らの口元が、ニヤニヤと歪められた。これがいつもの女遊びの延長だったならば、シェスタも同じようなトーンで返すだろう。だが、今のシェスタは違った。彼らの下卑た笑い声を蔑むように一瞥すると、口裏で小さく舌打ちをする。 「ルチアはそういうんじゃねェよ」  そう言って唇を尖らせてそっぽを向くシェスタを見て、男たちはまた可笑しそうに口笛を吹き鳴らすのだった。  やがて、シェスタとルチアの仲は誰もがそうなると信じていた通りに進展し、二人が出会ってから五年後の冬には、島の教会で結婚式が執り行われることとなった。式を目前に控えた週末の夜、シェスタは神妙な面持ちで父の元へと向かった。鴉色のソファにゆったりと構えるボスを前に、シェスタは恐る恐る口を開く。 「親父、頼みがある。ルチアには組織のことを隠し通してくれねェか? ……まだ話せてねェんだ。アイツは、俺の家が商家だと信じこんじまってる」  シェスタの息が切れるのと同時に、身を切るような沈黙が訪れた。ボスの目は、シェスタを品定めするかのごとく鋭利な光を放っている。例え実の息子とて、下手な仕事をすれば生かしはしない。そう念を押されているようだった。  暫く睨み合いが続いたあと、ボスがフッと表情を緩めた。彼は、手に持っていた煙草を灰皿に押し付けると、シェスタを見もせずに立ち上がる。そして── 「好きにしろ。ただし、逃げるなよ」  たったそれだけを深い声音で呟くと、ボスは建付けの悪い扉に強く体重をかけて部屋を後にした。シェスタは慌てて口を開こうとしたが、喉に澱んだ何かがつかえて上手く言葉に出来なかった。その『何か』の正体を、シェスタは嫌というほど知っている。それは、父に認めてもらえた誇らしさ。そして、愛するルチアを騙して生きていくことへの後ろめたさだった。  翌週、二人の式は滞りなく進行した。ルチアの両親は、好青年を装ったシェスタのことをひどく褒めちぎった。ルチアの持つ愛らしさは、きっと彼らから受け継がれたのだろう。ひと目見てそう分かるほど、彼らは人柄の良い夫婦だった。  俺は、妻のみならずその両親の気持ちすらも煙に巻いてしまうのか。湧き上がる罪悪感をワインで無理やり流し込み、シェスタは仮面の笑みを貼り付けたまま長い式をやり過ごした。  この頃にはもう、シェスタの心には以前のような荒々しい棘はすっかり消え去っていた。堅気の娘に惚れ、ただ何も知らない島の人間のふりをして生きた五年間は、裏社会に染まったシェスタの価値観を根底からひっくり返してしまっていた。叶うことなら、このままファミリーから目を背け、普通の人間として暮らしたい。けれど、そんな願いを思う度、脳裏には様々な顔が過ぎっていった。逃げるなよと呟いた父の顔、兄のように慕っていた構成員たちの顔、そして、かつて殺した裏切り者の顔。シェスタに顔を潰された彼が、原型を留めていないぐちゃぐちゃの唇をゆっくりと開く。 『お前も裏切るのか? 俺を殺したくせに』  これは幻聴だ。そう言い聞かせても、彼の声は耳の奥にこびりついて離れない。注射針を刺された時のような、じくりと長引く痛みが、シェスタの心の内を刺激した。 「俺は……」 「どうしたんだい? 顔色悪いよ、旦那様」  汗ばむ額を押さえ込んだその時、不意に後ろから、陽気な声色が飛び込んできた。シェスタが振り返ると、そこには下ろしたてのネグリジェをまとったルチアがランプを持って扉に寄りかかっていた。薄橙の光に照らされ、彼女の肌は色艶良い光沢を放っている。シェスタは思わず微笑むと、最愛の妻に向かって手を伸ばした。 「何でもねェよ。こんなに可愛い奥さんがいりゃあ、何だって怖くねェさ」  そうだ。俺は決して逃げない。柔く花のような彼女を抱きしめて、シェスタは強く誓う。彼女を守るためなら、この手で肉を裂くことも、血の雨を浴びることも、何一つ恐れはしない。妻にはファミリーのことを気取られぬように、敵対勢力には妻の存在を知られぬように。俺はただ、二つの家族を守りぬくだけだ。 ─────────────── 「バルド。島での暮らしはどうだ? ここは自然豊かだからな。アメリカにいた頃より調子がいいだろ」 「うん、パパ。今月は一回も発作が起きてないんだ。それにね、僕もう友達ができたよ」  第二次世界大戦が終結してから数年。移住先のアメリカから故郷の島に戻ってきた時には、息子のバルドは十を迎えていた。幼い頃から身体の弱かった彼には、汚れた都市の空気よりも島の自然の中で生きる方が心地良いのだろう、帰ってきてから随分笑顔が増えたように思う。シェスタは、ルチアによく似た笑みを見せる息子の頭を無造作に撫でると、ウイスキーを片手に彼の隣に腰かけた。見下ろした先には、ふわりとした金色の髪が、窓からの陽光に反射して天使の輪のように煌めいている。真珠と見紛うほどに白くつやのある肌も、くりっとしたガラス玉を思わせるロイヤルブルーの瞳も、色素以外にシェスタの要素を思わせる部分は極めて少なかった。この子はルチアに良く似ている。ウイスキーを一口舐め、シェスタはそっと目を伏せた。  バルドには、鉄の臭いに溢れかえった抗争の世界を見せたくなかった。十歳。そろそろ世の中が見え始めてくる年頃だ。また一人、欺かなければならない人間が増えてしまった。  故郷へ帰るということは、マフィアの動向により生活が脅かされる危険性が高まるということ。息子の健康を気遣っての決断ではあったが、島の日常の裏に忍び寄る、薄氷を踏むような緊張感は、次第にシェスタを疲弊させていった。家族を守り仕事を遂行する毎日で、酒を煽る頻度が格段に増えた。ルチアの眼差しが、日に日に不安げなものへと変化していく。気がついていたけれど、もう戻れなかった。守りたかったはずの家族に、当たる日が増えた。  悲劇とは、そんな酩酊とした日々の延長で、息を殺して待っているものである。  その日、いつものように酔いどれたまま帰宅したシェスタは、寝室の前で言葉を失った。  真っ白なシーツが突き刺すような紅で濡れている。虚空を見つめたルチアとバルドの死体が、静物画のように物言わぬ塊となって折り重なっていた。  敵対勢力に、家族を知られた。瞬時にそう理解した。頭の中が、氷水をかけられたようだった。呂律の回らない舌で、必死に妻と息子の名を呼んだ。もしかしたらまだ間に合うかもしれない。きっとまだ、息があるはずだ。せめて、どちらか一人でも助かる可能性があるのなら、俺は命だって投げ出せる。シェスタは初めて、心から神に祈った。どうか、俺の家族を奪わないでくれ。良い夫じゃなかったかもしれない。良い父親じゃなかったかもしれない。だけど確かに、俺は、二人を愛していたんだ……!  誰にも見えはしない存在に縋って、シェスタは声を上げた。触れた肌の冷たさに、もう手遅れだと分かってしまっても、愛が呼ぶ奇跡を、疑うことが出来なかった。聖堂で祈る神父のように蹲り、シェスタは夜通し呻き声を漏らしていた。  夜明けの訪れとともに、シェスタはふらふらと立ち上がった。妻と息子の目を順番に閉じてやり、まだ汚れのないシーツの上に綺麗に寝かせた。顔を拭いてやると、二人はまるでただ眠っているだけのように見えた。 「俺ァ結局、本当のことを言えねェままだったなァ。二人を巻き込んだのは、俺だったのに」  掠れた声で呟くと、シェスタは父に電話をかけようと扉の方へ歩き出す。と、その時、足元に固くて軽い何かが当たるのを感じた。しゃがみこんで拾い上げてみると、それは黒々としたビデオテープだった。妻のものだろうか? もしかしたら、息子の映像でも映っているのかもしれない。そう思ったシェスタは、急いでビデオを再生することにした。  ノイズのチラつく画面の中、最初に映ったのは、今シェスタのいる寝室だった。まだ二人が殺される前の時間帯。全体が真っ白なシーツの上に、ドサリと二つの人影が投げ出された。それは縛られたルチアとバルドだった。バルドは安らかな顔ですやすやと眠っており、ルチアはというと、凛とした表情でカメラの向こう側を睨みつけていた。 『あたしは、家族を売るほど薄情な人間じゃないよ』  折れることの無い真っ直ぐな声が、シェスタの鼓膜に響いた。鼻の奥が熱くなり、喉がカラカラに乾いていく。 『シェスタ、あんたは騙し通せたと思っているだろうけど、あたしは──』 『喋るな!』  低い男の大声が聞こえ、ルチアの眼前に拳銃が突きつけられる。だが、彼女は一秒たりとも臆することはなかった。 『あたしはね、シェスタ。全部気づいてたよ。それでもあんたと一緒になりたいと思っちまったんだから、惚れた女の弱みだね。いつ話してくれるかと、新婚の頃は毎日期待したもんさ』  殺されるかもしれないというのに、画面の中の彼女は、まるでこれからこれから始めるかのようにおおらかだった。引き金が引かれるその瞬間まで、ルチアはカメラを──その先にいるはずのシェスタを見て、微笑んでいた。 『だからね、シェスタ。あんたは自分を責めすぎるんじゃないよ。あたしとこの子は、あんたが家族でいてくれて、充分幸せなんだからさ』  ルチアが言い終わる瞬間、画面が大きく揺れて銃声が鳴る。そこでビデオは終わっていた。  冷えきっていたはずの脳内が、今度は沸騰するかのごとく沸き立つ。二人を殺した名も知らぬ男たちは、シェスタを地獄の底にでも送り込みたいようだった。 「地獄かァ。俺にゃ妥当な場所だな。……だが、一人では行けやしねェよ。必ずお前ら諸共道連れにして、血の海に沈ませてやる」  暗闇の中に、ナイフのような瞳だけが爛々と光を増していた。  阿鼻叫喚が洋館の内側にこだまする。広間のバルコニーの上では、何十人分の血液をまとった男が狂ったように笑っていた。彼は、燃え盛る床に向けて次々と瀕死の男たちを叩き落としていく。自身の顔にも酷い火傷を負ったはずなのに、痛みなど何処にも感じない。焦げて崩れていく家族の仇。その哀れな最期に、堪らなく可笑しくなってしまう。シェスタの感情は最早それだけだった。燃え盛る炎が階段を伝って足元まで忍び寄ってきても、バルコニーが崩れて自分の身体が落ちていっても、シェスタはずっと、壊れたロボットのように笑い続けていた。  鎮火した洋館の床は、一面が醜い墨で埋め尽くされた。それら一つ一つが元は人間だったとはとても思えない。死の名残すらも奪われた男たちの、無機質で残酷な最期だった。 ─────────────── 「あれ? おじさんだ! 久しぶり~」 「うわ、おじさんじゃん。久しぶり……」  自宅を出てすぐ、きゃらきゃらと煩い少女の声と、ため息とともに溢れる少年の声が耳を貫いた。声の方を向いてみれば、案の定双子が立っていた。彼らは、シェスタと目が合うやいなや、余った服の袖をプラプラと揺らしながらこちらに駆けてきた。 「ンだよ。ガキと遊んでる暇はねェ」 「違うよー! あのね、良いこと教えてあげる! さっきイリスがすっごい怒った顔で通り過ぎてったよ!謝ったら許してあげるのにって言ってた」 「それ伝えたかっただけだから。今日は舞台の練習があるし、無くてもおじさんとは遊ばないよ。じゃあね」  舞台というのは、例の建て直し事業の一環だろう。ただの騒がしいガキだと思っていた双子ですらも、気がつけばシェスタの手の届かないところまで行ってしまった。スキップをしながら去りゆく背中を眺め、シェスタはゾーイの言葉を思い返す。 「まァ、ひとまずイリスちゃんに謝りに行くかァ」  生前の家族には、謝ることも感謝を伝えることも出来ぬまま分かたれてしまった。その結果シェスタに残ったのは、自身を道連れに行う虚しい復讐の惨劇のみだった。そんな幕引きはもう懲り懲りだ。  今の家族──イリスとは、地獄に墜ちてすぐに出会った。ルチアとバルドを喪ったまま、それでも消滅を許されず、地獄街で生きなければならない絶望を背負ったシェスタに、彼女はそっと寄り添ってくれた。 「あなたとよく似た家族想いの優しい人を、私殺してしまったの。それをずっと後悔しているの」  だから今度は守らせて、と彼女は言った。仮初でもいいから傍で支えさせてと。それはシェスタが初めて知る愛の形で、存外悪くないと思った。 「俺だって、今度はちゃんと守りてェな。こんなクソみてェな場所でも、俺を思ってくれるヤツがいるならよ」  言葉を吐き終わる瞬間、最後の音は、亡くした家族へ語りかけるかのように。ルチアとバルドは、今頃天国街で仲良くやっているだろうか。もしかしたら、シェスタのことは忘れてしまっているのかもしれない。二人が幸福に居られるのなら、それでも構わなかった。  例え記憶を無くしても、酒に呑み込まれ全てが揺らいでも、真っ直ぐに生きていた頃の想いは、無かったことにはならない。それは神にだって消せやしない財産だ。  シェスタは軽く息を吐くと、イリスの元へと急いだ。 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 馬鹿と煙が梯子酒 登る様はさながら蜘蛛の糸 何処もかしこもクソだらけ ってオイ 一番クソなのは オマエだ馬鹿 良いとか悪いとか言うそれ以前に 俺には一切記憶がねぇんだよ 嫌になるぜもう限界 飲んでもないのに難なく生きてる アンタの方こそ飲まれてるんだよ 嫌になるぜもう一杯 won’t stop 死ぬ前にもう一杯 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 〖CAST〗 ✂️シェスタ(cv:桐生りな) https://nana-music.com/users/6037062 〖MOVIE〗 日向ひなの https://nana-music.com/users/2284271 ─────˙˚ 𓆩 ✞ 𓆪 ˚˙────── 〖BACK STAGE〗 ‣‣第20幕『閉塞感』 https://nana-music.com/sounds/06b494d9 〖NEXT STAGE〗 ‣‣第22幕『恋情盲目』 https://nana-music.com/sounds/06b6be5b #AMUSEMENT_AM #コールボーイ #syudou

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