🎡 どうして?どうして先生 🎠
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第16幕『カプセルの墓石』
ヴィクトルの就職祝いで食事に行った日から、あっという間に一週間が経った。彼にとっては馴れない業務に疲弊する日々だったらしく、その週はミュリエラの元に電話はかかってこなかった。
「ミューちゃん、また彼氏?」
「違うってば。友達。……最近就職したばかりで忙しそうなの。大丈夫かなぁ」
「ふうん。友達できたんだ。良かったじゃん」
ことあるごとにミュリエラをからかってくる姉が、珍しく素直に微笑んだ。ミュリエラと違って社交的な彼女は、いつも一人ぼっちでいるミュリエラを、きっと心の何処かでは心配していたのだろう。姉の優しい視線を浴びたミュリエラは、少しだけ気恥ずかしく、けれどあたたかい気持ちで満たされた。もっとヴィクトルとのことを……初めてできた友達のことを聞いてもらいたい。ミュリエラは座っていたソファから腰を浮かすと、姉の近くに座り直す。その時だった。
不意に、何となくつけていたテレビからけたたましい銃声が鳴り響いた。何事かと二人して釘付けになった画面の先には、緊急速報と謳った目に痛いテロップ、深刻な顔でこちらを見つめているニュースキャスター、そして、隣国の国境沿いの街が映し出されていた。
その街は、ミュリエラも度々訪れたことのある、言うなれば一番近い外国だった。古い街並みが美しい落ち着いた街であるはずだが、テレビに映る同じ名前の都市は、ミュリエラの記憶にあるそれとは真逆だった。
街のあちこちに炎が燃え広がり、崩れる建物と泣き叫ぶ人間がまばらに映し出されている。ニュースキャスターの言葉を聞くまでもなく、『戦争』という単語が頭の中を過った。
「これって隣の国じゃん。やばくない……?」
最初に口を開いたのは、姉だった。見開かれた目は、普段の飄々とした彼女からは想像もつかない程に怯えていた。空気を振動して、明らかな恐怖がミュリエラの方にも伝わってくる。ミュリエラは、青ざめた表情で咄嗟にSNSの画面を開いた。最早呼吸と同義とも言えるそのツールを見ることで、ミュリエラは目の前の動揺から心を逸らそうとした。しかし、液晶に飛び込んできた文字列は、既に混沌に陥っていた。
『ねえ、本気で怖いんだけど』
『ネタだとしても笑えない』
『隣の国で爆撃。戦争が近くまで来てる』
『これが現状です。拡散して! 』
僅か一秒の間にも、情報の波は何百何千という悲鳴を更新し続けていた。何が本当で何が嘘なのかは分からなかったけれど、少なくとも、あの惨状を知った全ての人間が恐れに突き動かされていることだけは理解できた。
ミュリエラは、凄まじい勢いに呑まれないようすぐにSNSを閉じる。次いで、ヴィクトルとのメッセージ画面を開いた。
『先生、ニュース見た?』
挨拶も無しにこんなに素っ気ない文を送るのは初めてだった。可愛らしい壁紙の中に浮かぶ、簡素なメッセージ。既読はすぐについた。
『見た。周りもすごく混乱してる』
久しぶりの連絡がこんな形になるなんて。震える指先で、ミュリエラは次のメッセージを打ち込んでいく。
『今夜、通話出来る?』
『分かった』
送信してすぐに、彼の方からも言葉が届いた。恐怖の渦が迫り来る中、それだけがミュリエラの安心材料だった。
その日の夜、二人は一晩中他愛のない話をぽつぽつと繋いだ。いつものように笑い合うことはなく、ただ二人とも、確かな安堵を求めていた。そうでもしないと、あの爆撃がすぐ傍まで迫ってくるような気がして、ただ、怖かった。
次の日から、ミュリエラの生活は一変した。難しい政治の話は何一つ入ってはこなかったけれど、近いうちにこの街も戦禍に飲まれるかもしれないと、まことしやかに囁かれていた。どこへ行っても戦争の影が付きまとう。そんな日々が始まった。
ヴィクトルとは、以前にも増して連絡を取る頻度が減った。早急に国民の戦争への対策が練られる中、まず初めに懸念されたのは教育機関の対応だったからだ。
『もしこの先被害に遭うことがあれば、僕は子どもたちと一緒に国を離れるかもしれない』
疎開をするのだと彼は言った。そんな言葉、教科書の中でしか見たことがなかった。彼の声は酷く憔悴していて、もう出会ったばかりの頃のような、ミュリエラをときめかせる全ては喪われてしまっていた。
けれど、それでもミュリエラは彼と離れたくなかった。どうか私も連れて行ってと、胸に秘めていた叶わぬ願いを口にする。
「先生、それなら先生、私と結婚してよ。夫婦になれば、私のことも連れていってくれるでしょ?」
「ミュリエラ、落ち着くんだ。もしもの話だよ。きっと被害は思ったより大きくは……」
「私は先生が好きよ。離れたくない」
頬に熱くなった液晶を当て、ミュリエラは必死でスピーカーの向こうの温もりに手を伸ばす。ヴィクトルは、彼女の訴えの後しばらく黙っていた。ミュリエラを傷つけないために、慎重に言葉を選んでいるようだった。
やがて、数秒の沈黙ののち、ヴィクトルは穏やかな声でこう言った。
「分かった。もしその時が来たら、一緒に国外へ逃げよう」
「本当? 約束よ」
念を押すように囁くと、ヴィクトルはいつもの微笑み混じりの声でもう一度返事をした。ミュリエラは天にも昇る心地だった。
恋は盲目とはまさにその通り。彼女は気づいていなかった。ヴィクトルは共に逃げようと言ってくれたけれど、そこにミュリエラの告白への返事は含まれていなかったのだ。
二人の友情の糸は、少しずつ、けれど確実に、破滅に向かって綻びはじめていた。
ヴィクトルと会えない日々が数ヶ月にも及んだ頃、街では戦争への不安からか、違法ドラッグが横行するようになっていた。ひとたび路地裏へ入れば、狂人のような薬物中毒者が蛆虫のようにわらわらと湧いている。ミュリエラは、彼らを視界に入れぬよう清廉潔白な大通りを足早に過ぎ去った。
「あんなのに溺れたら戦争よりも酷いことになる。今の時代幼稚園児だって知ってるのに」
心が弱い人間は、そうなるだけの欠陥を持つ。実際は騒がれていたほどの被害は起きていないというのに、ありもしない幻想に怯え馬鹿みたいに薬物に縋るのだ。
「でも私は違う。私には先生がいる。私を愛してくれる素晴らしい人がいる。だから私は強く在れる」
例えこの街で争いが起きたとしても、彼が私を遠くに連れていってくれる。最近は滅多に会えないけれど、それも彼が仕事を頑張っている証拠だ。彼は誰よりも誠実で、正しい目で世の中を見ている。ミュリエラはそう信じることで、心の安寧を保っていた。
「そういえば、先生のいる学校ってここから近かったような。ふふ、サプライズで会いに行ったらどんな顔するかな」
突如浮かんだお茶目な思いつきは、ミュリエラの周りを薔薇色に染める。目についたカフェで小さな焼き菓子を買うと、ミュリエラは意気揚々と彼の居る場所へと急いだ。
ヴィクトルの職場である学校は、少しばかり入り組んだ路地の先にあった。伝統的な作りの古い校舎からは、ちょうど下校する生徒たちがワイワイと楽しそうに出てくる。その中の一人が、ミュリエラに気づき人懐っこい笑顔で話しかけた。
「お姉さん、誰か待ってるの?」
「ええ。ヴィクトル……じゃなくて、クォーレ先生はいるかな?」
「先生なら職員室にいると思うよ。もしかして、先生の彼女?」
ニヤニヤと可愛らしい表情で尋ねる生徒に、ミュリエラは頬を染めて言い淀む。素直にハイそうですと言って良いものかと悩む彼女の隣で、傍に居たもう一人の生徒が首を傾げた。
「え? 違うよ。だって、クォーレ先生はもうすぐ別の学校の先生と結婚するって言ってたよ? 婚約指輪してたし!」
「え……」
その瞬間、ミュリエラの世界がモノクロになった。生徒たちは、彼女の変化に気付かぬまま元気に挨拶をして去ってしまったが、ミュリエラはそこから一歩も動くことが出来なかった。
先生が、婚約? 私じゃない、他の誰かと?
手に持った焼き菓子が、確かな質量を持ってぼとりと地面に落ちた。アスファルトの煤けた塵に塗れたそれを、考えるより先に踏み潰す。
「……私を連れ出してくれるって、言ったくせに。愛してくれるって、言ったくせに」
ミュリエラにはずっと友達がいなかった。だから、人と繋がるための距離感が分からなかった。彼が発する何気ない一言も、小さな行動も、全て自分自身に対するものだと結びつけていた。
その認知の歪みは、やがて妄想の怪物となって彼女の心に根を生やした。
「間違えちゃった」
ミュリエラは、光の無い目で踵を返すと、あのドラッグが蔓延する通りへと引き返していく。
「私きっと、人違いしちゃったのね。だって先生が、私以外を愛するはずないもの」
大通りを抜け、そうするのが当然とばかりに暗い路地裏へ足を運ぶ。浮浪者のような男が一人、珍しいものを見るような顔で、ミュリエラを見定めた。
「よう、お嬢ちゃん。なにかご入用かい? 初回ならタダだよ」
「……私間違えちゃったの。だから、正しいところに戻して欲しいの」
ミュリエラはそれしか言わなかった。男はヒュウッと口笛を吹くと、新しい玩具を見つけた子どものように甲高く笑った。
「はっ! 新しい世界が見たいならこれを使いな。最高な気分になれるぜ」
手にした包みは、あの日ヴィクトル分けてもらったキャンディのように、キラキラと輝いていた。純粋だったあの頃の自分を思い出す。甘く蕩けるような些細な幸せを思い出す。
「先生……今会いに行くわ」
ミュリエラは、丁寧に包み紙を解くと、幸せへの近道を口の中に放り込んだ。
ヴィクトルの耳にそのニュースが入ったのは、婚約者と共に暮らす自宅へ戻ってすぐのことだった。テレビのニュースをつけていた婚約者が、これってあの子じゃない? と青冷めた表情で伝えてきたのだ。
「大通りで、複数の青年を刺し殺したって、さっきニュースで……」
「え……」
彼女の声を聞くのとほぼ同時に、画面の中に映し出された少女の姿が目に入った。その顔を見て、ヴィクトルはヒュッと息を飲む。
ヴィクトルに酷くつきまとっていたストーカーの少女が、画面越しにヴィクトルを見つめていた。
初めてその子──ミュリエラに会ったのは、教育実習の一環として訪れたサマースクールだった。少し内気で不思議な雰囲気の彼女は、いつも一人で行動していた。熱心な実習生だったヴィクトルは、彼女にも楽しい思い出を残してあげたいと、積極的に話しかけにいった。その甲斐もあってか、彼女は次第にヴィクトルに懐いてくれるようになった。勉強の質問をしたいと言われたから、他の生徒たちと同じように、教員用の連絡先を教えた。
全てが狂い始めたのは、そこからだった。
サマースクールで出会った大半の生徒が質問や添削のためにチャットを利用する中、彼女からは、まるで友人に送るかのような馴れ馴れしいメッセージが届き続けた。宿題を見てほしいとかかってきた電話は、蓋を開けてみれば他愛もないお喋りばかりで過ぎ去っていった。休日には何度もコール音で呼び出され、半ば強制的に食事や遊びに連れ回された。
初めは真摯に対応していたヴィクトルも、就職する頃には限界に近づいていた。年下の少女だから傷つけたくはないが、このまま放っておくのも怖い。当時から付き合っていた婚約者に相談すると、彼女はヴィクトルと共に暮らすことを提案してくれた。
その後、届いたメッセージの返信は全て彼女が対応し、仕事が忙しいからしばらく会えないという建前の元、穏便にミュリエラと距離を取ってくれた。あとはこのままフェードアウトしていけばいいわと明るく笑う婚約者に対し、安堵と感謝の気持ちでいっぱいになったことは記憶に新しい。
そんな矢先に起こった、この事件。ドラッグを使用していたとされるミュリエラは、いずれもヴィクトルと同世代の男ばかりを殺していた。現場となった大通りはヴィクトルの職場からほど近い場所にあり、通りに面したカフェで食事をすることも多かった。もし知らずにあの場所にいたら……。そう考え、ヴィクトルは身体の震えが止まらなかった。
婚約者に支えられながら、何とか落ち着きを取り戻した彼の耳に、再びニュースキャスターのシリアスな声が降ってきた。
「なお、容疑者の女性は既に死亡が確認されており、警察は、容疑者が複数の男性を殺害したのち、自殺を図った疑いがあるとして捜査を進めています」
その瞬間、緊張の糸が解け、ヴィクトルは冷たいフローリングの床にぺたりと座り込んだ。彼はたった今、ようやく呪縛から解放された。
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授業参観 恋の予感
家庭訪問は地獄の門
放課後の校庭で
課外授業な愛を知る
受験戦争 もう負けそう
か弱いハートが折れちゃいそう
ホームルームの教室で
男女交際のうわさが飛び交う
先生 知らないこと知リたいの
見えないものが見たいの
教えて おしえておしえて
ねえ先生 最近寝つきわるいの
金縛りはげしいの
どうして?どうして先生
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〖CAST〗
🍭ミュー(cv:唄見つきの)
https://nana-music.com/users/1235847
〖MOVIE〗
日向ひなの
https://nana-music.com/users/2284271
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〖BACK STAGE〗
‣‣第15幕『安心材料』
https://nana-music.com/sounds/06b12fb8
〖NEXT STAGE〗
‣‣第17幕『叫』
https://nana-music.com/sounds/06b2ae05
#AMUSEMENT_AM #相対性理論 #地獄先生
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