guest3_四夜 依存の烙印者
ReoNa
guest3_四夜 依存の烙印者
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「以前のディナーライブ、素敵でしたねぇ…ふふふ」
「急に思い出し笑い?不気味だよその顔」
「ふふ、冷たいお言葉。…あぁ、思い出したと言えば」
ホテルの資料室、誇りっぽい部屋の中でハビエルが集めた客のサイン帳と格闘している最中だ。その膨大な数にオーナーが助けを求めてきたのは何時間前だったか。…こんな事なら断ればよかった。疲れて嫌気がさし始めた時だった。ロゼは特段興味はなかったが、休憩を得るチャンスと言葉を促した。
「思い出したと言えば…?なんだよ」
「ええ。実はライブは昔にも1度、お客様の有志でやった事があったんですよ。バイオリン1つを抱えただけでこちらに流れ着いたお客様でした。…確か名前は…」
ヒラヒラとサイン帳を捲る。オーナーが持つそのサイン帳、さっきから妙な揺らぎが見えると思っていたが、ある1ページがやはり目に刺さるような感情を孕んでいる。自分が目に映せる「依存」…確かにそれは依存なのだが、酷く刺々しさを感じる。サイン帳を捲るオーナーの手が止まった…やはりあのページだ。
「そうそう、カローレ様です。光のような色合いの髪で、スラリと立ちバイオリンを構える姿は本当に美術品のように美しかったのをよく覚えています」
オーナーはまた嬉しそうに微笑む。ページに籠る禍々しさとは想像つかない印象に、ロゼはついつい首を突っ込んでしまう。
「…へぇ。客が有志でライブねぇ。あの機械人形の子もそうだけど、度胸があるというかなんというか。…上手かったの?その演奏」
「それはもう!お客様はきっと名のあるバイオリニストなのでしょう。人前で演奏する事にとても慣れておいででした。お泊まりの間、毎晩ディナーにバイオリンを奏でてくださいました」
そういうと、いつもニコニコと細められているオーナーの目がふっと開いた。
「ただ、毎晩拍手を受けても…何処か不満げと言いますか…悲しげでしたね。最後の夜だけは吹っ切れた御様子でしたが…いや」
オーナーは小さく声を潜めた。きっと独り言なのだろう。
「納得した事にしたかったのやも…」
ハッと自分の発言に慌てたオーナーがいつもの笑顔に戻り、明るくロゼに問いかけた。
「あぁ!もうこんな時間でしたか!休みも入れずに酷い事を強いてしまいました。まだ終わりそうもないですし、残りは後日やりましょう。もうお部屋に戻って構いませんよ。本当に助かりました」
このホテルは何かに囚われた者が流れ着き、その疲れを癒す場だ。つまり、そのカローレという客も理由があってここに流れ、そしてその感情に決着をつけたのだ。…僕の目と資料があれば、何かわかるかもしれない。ロゼはなるべくいつも通りを装って答えた。
「資料整理で出しっぱなしのファイルや箱が邪魔で嫌だ。…はぁ、仕方ないから片付けまでやってあげるよ」
でも…と困惑するオーナーを押し退け、ロゼは部屋に残る事に成功した。
「Noble…?あぁ、成程…」
何とか見つけ出したカローレの資料を紐解いていく。やはり彼女はプロの演奏家、しかも並のものではない。彼女の世界線では代々演奏家を排出する名家の出であり、最も期待された新星。譜面に起こされた楽曲ならば、何人も弾けないものだろうと彼女は演奏してのける。誰よりも正確で、誰よりも明確…まるで作家の脳内をそのまま音にして流したかのようだと評されている。彼女の容姿も相まり人気の高さは計り知れなかった。
「はんっ…素晴らしい事だ。そんな奴が何故ここに?」
誰もが羨みそうな輝かしい経歴と運命。とてもホテルで癒される存在だとは思えない。それに筆跡に残る強い感情は…ロゼはサイン帳へと目を向ける。普段はその人そのものに宿る感情を見るだけだから楽なものだが…
「感情の奥を見るなんて出来るのかな。やってみるか」
舌が少し熱い…集中して汗ばむ手には花弁が湧き上がる。必死に見つめるサインの筆跡にボヤりと浮かぶ像…人魚と若いバイオリニスト…?
「これがカローレ?いや…」
カローレにしては髪が短い。浮き上がる像はカローレの感情の先にいる対象人物なのだろう。
『 そんな事…思いたくない…お前らなんか…』
声が聴こえた…そう感じた瞬間、ロゼはバッと目を手で被った。何百の針で目を刺される様な痛みと舌の熱さ。痛みに藻掻き何とか離れようとするが、残念ながら筆跡に籠った感情に囚われたようだ。勝手にカローレの記憶が脳内に流れてくる。
『 楽譜以上を表現出来ない凡人…面白みのない機械のような演奏…真の天才の前に墜ちた名家の新星』
評論家の声や新聞の文面…様々な像がロゼに流れるが、その全てがカローレへの非難だった。そして人魚と共に見えた、あのヴァイオリニストの像が綺麗に鮮明になっていく。みすぼらしい身なりと安いヴァイオリン…しかしその顔は希望と幸福を湛え、その人は心から楽しそうに演奏をする。その曲は…まさに魔法だ!楽譜にないアレンジ、セオリーでは思い付きもしない演奏法、そしてパフォーマンス…拍手はどんどん自分からあの人へと移っていく…カローレと同化したロゼの心は強い渇望と焦りで締め付けられる。直視できない程の惨めな自分へ歌声が聴こえる…慰めるような、心強い調べ。
『 …わ、私…あのカローレと…!!カローレのヴァイオリンと一緒に歌えるなんて…夢みたい!やっぱり、貴女の演奏は世界で一番素敵』
あの人魚の客の声だ!ロゼは気づいた。そして救われる様な気持ちになった。彼女の歌は本当に聞いた事がない程の才能を感じた。その相手からの賞賛…涙が出そうになる。きっとこの感覚はカローレだ…ロゼは振り回される己の感情の中で必死に客観視しながらその後を見つめた。
夜な夜な二人だけで行われる歌とヴァイオリンのセッション。互いの才能を褒め合い、何も気にしない演奏は心の支えとなった…なったはずだった。なのに何故…
「ゾーア…前はこの節違う歌い方だったわよね?」
『 ええ!さ、流石…カローレさん…あんな小さなアレンジも分かって下さるなんて…!ヴァイオリンの演奏が素敵で、ロングトーンの声の出し方も変えてみたんです!美しい高音に深い低音を重ねたら面白いかなって!』
ああ…分からない。何故それを思いつける?そしていとも簡単に表現してのける?…でも、この事だけは私の耳でも分かるわ…ゾーアの歌に、私の演奏は物足りない。もう、貴女の歌に着いて行けなくなってるって事…。
そして訪れる最後の夜。それは恋の歌だった気がする…彼女は最高の歌を歌った。まるで魔法…まるで…
『 わ、私…カローレさんの演奏に見合う歌が歌えたでしょうか!?頑張って練習して…ううっ!今出来る最高の歌だと思うんです!!…ぐすっ!カローレさんを想って歌ってみたんです!ずっと一緒に奏でたくて…私!』
「…ええ。…あぁ…お前らなんか…」
こんな事…思いたくない。お前らなんか…あのヴァイオリニストも、人魚も…居なければ…!!!
フラフラと中庭が見えるロビーのソファーに腰掛ける。もう外は夜に沈み、月だけが静かにロゼを照らしている。
「他人の事に土足で踏み入るのは良くないな…もう二度とやりたくない…」
ロゼは吐きそうになりながらも呟いた。成程、彼女は二人の才能を誰より理解し、大切に思い…そして今すぐ消したかったんだ。
「だから…消えたんだ。自分が消える事で、その矛盾を叶えたんだな…」
「きゃっ!!だだだ…誰ですか!?」
ロゼの心臓はビクリと跳ね上がった。声の主の方にむくと、更に鼓動は早まる。カローレの感情がそうさせるのだろうか。
「…客…えっと、ゾーア…だっけ?こんな夜中に何?サービスなら今日はもう受付終わったよ」
「あ、あ、あぁ…スタッフさんでしたか…ビックリしたぁ…サービスを頼みに来たわけじゃないですよ。歌の練習です!…私、生意気にも最高の歌だなんて友人に自慢してしまって…それ以来、友人は何処かに行ってしまったんです…だから!もっともっと上手くなって…そしたらきっと友人は帰ってきてくれる…あの小屋に」
友人の話をするゾーアの顔は仄かな薔薇の色。その顔はさながら…
―最後の夜。それは恋の歌だった気がする―
取り戻そうとする彼女の努力はどんどんと望みの相手を遠ざけている。そんな皮肉はあるだろうか…ロゼは中庭へ向かうゾーアへ声をかけようとする。
「んぐっ!」
まるで口を手で塞がれたように息が詰まった。きっと…きっとこれはカローレだ。…程なくしてゾーアの歌が聞こえて来る。
「そうか…彼女は…ゾーアの歌声を自分の気持ち一つで消したくなかったんだな」
ふふっと微笑み、ロゼは部屋へと戻る。一瞬過ぎる考えを押し殺しながら。
…もしかしたら、これが歪んだカローレの復讐なのかもしれない…なんて考え。
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四夜が終わりました。
伴奏元:ITYH 様
https://m.youtube.com/watch?v=0yuQVOeKnZk&t=0s
(ご協力ありがとうございました)
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