🎤≪歌旅日記≫🏃 【27】
◆訪問地
沖縄県糸満市 沖縄平和祈念公園
ひめゆり平和祈念資料館
沖縄県読谷村 『艦砲ぬ喰ぇー残さー』歌碑
今回のテーマは、「『島唄』誕生の軌跡を辿るべく沖縄平和祈念公園・ひめゆり平和祈念資料館を訪れ、また沖縄平和祈念の唄『艦砲ぬ喰ぇー残さー』の歌碑を訪れた後に歌入れし慰霊の日に捧げる」です。
この『島唄 2002』は、私がnanaを始めた当初からいつかは三線でやりたいと思っていた楽曲。いつかはやりたいと思っていた条件にnanaでの三線弾きがあり今はそれが成立しているものの、まだ腰が引けていた。
しかしながら、先立ってのkanakoさんとの共作の『沖縄に降る雪』の出来が大変良く、また、「いつか」なんて言っていたらその機会を永遠に失いかねない私の近況を考えると「いま」しかないと思い、kanakoさんに改めて共同製作依頼をした。
そして、目標は「慰霊の日に捧げるサウンド」とした。それに伴い改めて、まずは糸満市の沖縄平和祈念公園を訪れることに。
小雨が止んだ直後の夕方の平和祈念公園へ下見というか、「いま行くべき」と突発的に訪問。緊急事態宣言下で資料館は閉館であり、平日の夕方であり、天候不良という条件ゆえに、ほぼ無人。私含めて6人しか居なかった。その見かけた人の内の半分、3人が外国人の方だったのも印象的だった。
始めて訪れた「平和の礎」。完全無人無音の中、一人この場所に佇む。無数の刻銘碑から受ける重い現実を噛みしめながら歩みを進める。気圧のせいか、一歩ごとに頭が熱を出した時みたいにガクンッとなる。平和の広場に出た。その向こうに見える海、波の音だけが聞こえる。
しばらくして、老齢のおそらくアメリカ人の方2人が来て、3人で平和の広場からの海を眺めていた。
この平和の礎には、戦争で亡くなった沖縄県民だけでなく、この地の戦争で亡くなった分かりうる限りの方の名が刻んである。それは国籍も宗教も問わない。日本軍人はもちろん、米軍人の名も刻まれている。
なので、コロナ禍が生んだこの圧倒的な静寂の中の鎮魂の夕凪を、外国人の方と共有するシチュエーションには考えさせられるものがあった。
その翌々日、ひめゆり平和祈念資料館がコロナ禍の影響で経営危機に陥っており、寄付を求めているという報を受ける。「平和とお金」についての別視点での政治批判、今はそんなのもあるが、この島で年々と構築が高まろうとしている“意思文化”の根幹を絶やすわけにはいかぬと、直接に訪問して寄付をすることを決めた。
ちなみに、“意思文化”とは私の造語であるが、それは「あの戦争の悲惨さと平和への願いを語り継いでいこう」という意思が、唄や踊りを通して沖縄県民のアイデンティティとなりつつあるという事である。その発端となったのは間違いなく、THE BOOMの『島唄』である。そして、その『島唄』の誕生のきっかけとなったひめゆり平和祈念資料館の火が消えかけているのである。
長雨が続く日々の中でひめゆり平和祈念資料館にいつ行こうかタイミングを計っていると、急に晴れ間が出たのでいざ訪問。
寄付をしようと職員の方に声を掛けた時に、「あれ❓開館してる❓」気が付いて入館することに。沖縄平和祈念資料館と同じく、閉館中と思ってた。こういう下調べをあえてしないのが、私の歌旅スタイル。(いいわけw)
ふと、中庭を見ると、キレイな欄が咲いていたのでお庭訪問。一つだけ咲いていたハイビスカスの花がなんだか象徴的だった。
今年4月にリニューアルしたひめゆり平和祈念資料館は、当時の学生生活の様子によりスポットを当てた展示となっていた。プロジェクターや映像展示もやや増えていたように思う。
前回に訪問した際にには全ての映像資料を見たので、滞在は2時間以上になっていたが、今回は映像資料を見なかった。時間の都合というのもあったけれど、その時の私のメンタルバランスがあの凄惨な証言記録に耐えられるものではなかった。あの映像資料を見るのは覚悟がいる。
とはいえ、1時間ほどの滞在となり、資料館を出る際に再度、職員さんに声を掛けて寄付させて頂いた。そして、その時にこの資料館の映像(中は撮影禁止)と千羽鶴などの映像をSNSでの表現活動に使用することの承諾を得た。
だが、承諾を願い出る方は職員さんだけではない。この戦争で亡くなったひめゆり学徒隊や先生方にも頭を下げなければならない。
https://nana-music.com/sounds/03f38d4f
前に『ねんねこよ』のサウンド製作をした際に、歌入れ中から体調を崩し高熱を出して寝込むという事があり、後日、ひめゆり平和祈念資料館を訪問して手を合わせて謝罪するという事があった。(当時は関東住まいだったので夏休み利用)
今回は本歌入れをする前に、ひめゆりの塔の祭壇にて手を合わせて、今回の表現について事前報告。馬鹿馬鹿しいと思う人もいるかもしれないが、プロの表現者ほどこういう題材を扱う際にはしっかりとやるらしい。声は言霊、歌は音魂ってか。
手を合わせて報告したあと、振り返って目の前にあった大きな木が気になり近づくとそれはデイゴの木であった。そこに書いてあったプラカードを見てハッとした。
「デイゴの花が見事に咲く年は、台風が多いとも言われている」
あぁ、きっとこの文言はこの30年間ずっと変わらずこのままなのだろう。宮沢氏がひめゆりの塔を初めて訪れたときから…。かつて、この場所にも宮沢氏は立っていたはずだと確信を得て、再度、沖縄平和祈念公園へ向かう。
前回の訪問ではスルーしていた平和祈念堂に向かう。祈念堂の横にある、ブロック塀を切り取った上に平和論の大理石をはめたモニュメント作品になんだか魅入ってしまった。
平和の広場を再訪してほどよく晴れた海を撮り終えた後、霊域参道へ。ここには沖縄戦で亡くなられた方の各県の慰霊塔がある。この場所も完全無人であり、厳粛な雰囲気があった。
そして、その翌日、読谷村にある『艦砲ぬ喰ぇー残さー』の歌碑へ。
『艦砲ぬ喰ぇー残さー』とは「艦砲射撃の食い残し」と言う意味で、米軍の攻撃の凄まじさと生き残った者を「食い残し」と表現する悲しさを歌い、最後に「戦争の悲惨さを子孫末代まで伝えていかねければならない」と結んでいる。
しかしながら、この重い内容の歌詞に反して、曲調は軽快でいまにも踊りだしそうな感じである。この曲の作者の比嘉恒敏は沖縄戦で家族6人全てを失っている。その乾いた空しさのような、悲しすぎて笑えてくるみたいな印象を受ける。
先日にNHK沖縄で放送された本土復帰50年企画『おきなわ“琉歌”巡り旅』にて、宮沢氏がこの楽曲の紹介と解説をしている。その作者の比嘉恒敏について話している最中、その悲惨さに宮沢氏がさめざめと泣き出して番組進行が止まってしまう事があった。
また、宮沢氏いわく、『島唄』の歌詞の冒頭はこの読谷村を舞台としており、読谷沖から何十隻も米艦隊が隊列を組んで地上を睨みつけている沖縄本島上陸直前の写真を見たときに、背筋が凍るほどの恐ろしさを感じ、そこから歌を綴っていこうと歌詞を書き始めたとのことである。
私がこの歌碑のあるユーバンタ浜に来た時は夏日で、ビーチで遊ぶ学生さんも見かけた。いざ、歌碑まで来るとオジーが木陰でひとり佇むのどかな雰囲気であった。
この歌碑にあるボタンを押すと、この歌が流れる仕組みである。いざそのボタンを押して撮影開始。あれこれ撮ってみて後で見返したら、なんと水着のオネーサンがうつ伏せで身体を焼いている様が写り込んでいるではないか⁉️。こんな歌碑の裏で何しとんじゃい❗w
まぁいまは“平和ぬ世”ってことですかね。やや呆れつつ、それもまた沖縄か…と笑えるところもあり、その場を後にしたのだった。
今回は歌旅メインということで、この楽曲についてはあえて語らず。ていうか、駄文が長すぎる。私自身、想い入れの強い楽曲なので、またいつか機会ある時に改めて…。
≪動画について≫🎥
前回までの動画製作と違い、今回は動画製作を想定した撮影をした。もう長文が酷過ぎるので、なるたけ簡潔に。
全体としては、繋ぎボカシなどのモーション効果などはあまり使わずに、写実的演出を目指した。
前半の「でいご~の~」のシーンのデイゴの木の動画のマスターについて、何故か左からの音が異常を起こしている。やはり、この場所は“気をつけねばならない”という場所なのか。もしかして左にいらっしゃ…
平和祈念資料館のシーンで飛び込んでくる鳥は実はカラスで、カァカァ鳴きながらこっちに飛んできたから不吉な感じがして半端なとこで撮影を切ってしまった。
この動画を使うか否かの自己会議にて、そもそもカラスが不吉であるというのは近年の西洋思想からであり、古来日本においては「八咫烏」として神聖な縁起のよい鳥として扱われていたとのことを学ぶ。だったら大丈夫じゃね?として採用決定とした。
千羽鶴の撮影は一応、職員さんの許可を得て。あの角度からの撮影は、朝日昇る海をイメージしている。
当初、冒頭のシーンはユーバンタ浜であったけれど、動画製作に行き詰って初代『島唄』のMVを見直した際に、そのMVが夕陽から始まっていたのでそれをフィーチャーすることに。なので、このシーンだけ、前々回の歌旅の恩納ナビィビーチの動画を使用してる。
水平や垂直のパンの多様に少しマンネリを感じるものの、これはこれで意味のある事だから今回はいいんだよと自分に言い聞かして納得。
それにしても、初代『島唄』のウチナーグチverのMVを見直したら、なんだか泣けてきちゃって。眼精疲労でくたくたの瞳が潤いましたわ。
≪伴奏について≫🎸🎹
nanaを始めた4年前から「前半25秒がまったくの無音」という伴奏を作りたく、今回、実際にチャレンジしてみた。尺の都合上、Aメロは全カット。
というのも、THE BOOMのファン、とりわけ宮沢氏の行き様まで心酔してる者にとってこの楽曲はあまりにも偉大かつ神聖すぎて、よほどのことがない限り歌えないというような気概があると私は思う。なので、やるんなら自分で作った伴奏で気合を入れてやりたかった。
その気合とはやはり、『島唄 2002』を歌いきること。これは流石に軽々に歌えるものではなく、熟練と熱意、いや、執念が必要となる。実は同じ構成の『島唄 2001』というのもあるので、実に20年分のカタルシスを得ようという試みである。そして、冒頭の25秒間の空白が生まれた。
当初想定は三線のみ伴奏だったので、Bメロも無音の予定だった。だが、緊急事態宣言により中止となった宮沢氏の『未来飛行士ツアーファイルノ』の北海道公演の代替として配信されたストリーミングライヴにて、ピアニストの鬼武みゆきさんと宮沢氏の2人での『島唄』を見て「これはぜひやってみたい!」と思い、kanakoさんに声を掛けたのであった。
最初はこの『島唄 2002』の三線のキーを見つけるところから始まり、kanakoさんのオリジナルのピアノ表現をあーでもないこーでもないとしながら作っていき、最終的にkanakoさんの素晴らしい“荒波表現”がBメロに宿り、強い打鍵での『島唄 2002 (acostic)』が完成した。
ちなみに、Bメロは宮沢氏の意志を尊重し、三線は入れず。THE BOOM解散後のライブとかでは入れてはいるけど、それはまぁ沖縄と両想いになった証ってことかな。
自身の三線でこの楽曲の伴奏を作るという機会を迎えられ、ここまで諦めなくて本当に良かったと感無量である。
≪歌入れについて≫🎤
今回は、歌入れ時間短縮と完成度を高める為に、ボーカルは2回に分けて歌入れ。arenaエフェクト0%。
やはり、前半のインパクトが鍵となるが、これまでの蓄積でなんとかこなせた。最初こそカウントを見ながらやってたけど、最終的にはカウントを見ずに感覚だけで着地するようになった。スキーの大ジャンプみたいw
前半はいいけど、後半はやはり原曲との声質の差が出てしまうのは仕方ない。でも、「あなたとでやい」の宮沢節は滞りなく。当時の宮沢氏の鼻にかけつつ低く横にという発声はそれなりに出来たかな。ステレオ化の弊害で音がやたら固いのだけど、まぁ仕方ない。
このアップテイクはキーを外してるところもある。実は、『艦砲ぬ喰ぇー残さー』の歌碑訪問を切り上げてからのスタジオインの、一発目の歌入れサウンドである。
これを軸にして試行錯誤をする予定で、たしかに、より原曲に近い表現が出来ているものもあった。しかしながら、綺麗に歌おうとしているがゆえに、自分が納得する“圧”のようなものが薄い。
結局のところ、歌旅直後が一番、魂が入っているということかと判断し採用。こういう楽曲は頭で考えて歌ってはダメね。心で歌わなきゃ。
いまの私の力量でやれる限りを出し尽くした歌唱とはなった。もうこれ以上はないとして、三線を持ってこの楽曲を歌い出してから四半世紀が経ってからの終着点としたい。各パートの音量バランス含め、過去最大納得。
素敵な伴奏にて歌わせてくれたkanakoさん、ありがとうございました。
作業開始当初は三線のキーも合ってないわ、私が作った秒数カウント区切り表は細かすぎるわで、ほんと手探りで始めた伴奏製作でしたが、サウンド・動画・キャプション含めこうしてカタチに出来て心から嬉しく思います。
私の追求姿勢やkanakoさんの真面目さなどの要因もありますが、相互に畳み掛けてテストサウンド重ねて仕上げていく様は圧巻でした。そこには互いの「プレイヤーとしてのファン」の意地の共鳴があったかと思います。まずは自分自身の納得の為に。ここでは書き尽くせないほどの素晴らしい“縁”と“機”に感謝します。
≪最後に≫🌺🏝️🎶🕊️🌅💧
私見であるが、沖縄戦がいかなるものであったかを映画で知るには、日本製作の映画はあまり参考にならない。むしろ、アメリカから見た沖縄戦の映画などを見た方が良い。
今回、沖縄戦をよく知る為にメル・ギブソン監督の『ハクソー・リッジ』を観た。舞台は浦添の前田高地であるが、艦砲射撃の凄まじさを良く知ることが出来た。そして、「命どぅ宝」の精神は敵見方関係なく共通の崇高なる精神であることも確認できた。
ちなみに、この『ハクソー・リッジ』という映画は、沖縄では好意的に受け入れられている。先にも述べたが平和の礎には、この映画の中で無残に殺し合った人達の本当の名前が刻まれている。国内発展の大局側からそういう事実への光をこれまで外されてきたけど、SNSが発達した現代においてはそうはいかない。そう信じている。
スティーブン・スピルバーグ製作の海外ドラマ『THE PACIFIC』の沖縄戦のエピソードもオススメである。
来年は沖縄の本土復帰50年かつ『島唄』生誕30周年となる。その2022年の春のNHK朝ドラ『ちむどんどん』へ宮沢氏の息子の宮沢氷魚さんが出演するとのこと。さらに、来月より宮沢氏が沖縄のラジオ局が番組を持つとの情報も入った。
そして、モンゴル800のキヨサクさん、古謝美佐子さん、Kiroroの玉城千春さんが、ひめゆり平和祈念資料館の支援の為に立ち上がり、ひめゆりの塔でのライブをチャリティー配信することになった。
沖縄戦を生き残った方々の肉声をどんどん聴くことができなくなってきている昨今、芸能を通してその生き様と平和への願いを継承しようという文化がこの沖縄で確立されることを切に願う。
というわけで、慰霊の日の正午にこのサウンドをアップする。
黙祷。
※トップ画像は、ひめゆりの塔の前のデイゴの木のプラカード。
#THEBOOM #島唄2002 #宮沢和史 #慰霊の日 #沖縄平和祈念公園 #ひめゆり平和祈念資料館 #艦砲ぬ喰ぇー残さー #沖縄に恋した宮沢和史祭り
コメント
8件
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- 桃乃瀬きのこ🍄声のエネルギーが満ちてて 素晴らしい✨✨✨☘️☘️☘️ 映像付き最高ですね!😆
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- kanakoアップした後のニヤさんの歌が、いつも以上にすごすぎるー!と。 感想がこれくらいしか浮かばない… 製作過程で、言い尽くしたような気もしてるのもあって。 言い尽くした、というか。テストサウンドが全てを物語るというか、笑 私ももっと頑張ろうと思えました。 いつも熱意ある行動で示し導いてくれてありがとうね。🍀🌺🕊
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- ニヤ☆ゆっくり聴きnanaさせて下さい〜💦☆
- メロディ@❼cR♡CAST歌声も三線演奏も動画も写真もキャプションも…すべてが素晴らしいです!感動しました😌🍀 慰霊の日の今日、ニヤさんは何を歌われたかな?と聴きに参りました✨ 素晴らしい作品をありがとうございました🍀 平和を願って…🌺🌺🌺
- うか🐾城村優歌🐈TL遅🙇♀️コメントお休みし〼🙇♀️これは歌が1分半というのが、もったいないですね。フルでも足りない。写真を見て1回、そしてキャプション読みながら3回リピートしても足りなくて、ちょっと用事が入ったので、また夜にゆっくり拝読します😊🎶