#エスタシオン事務所
「頼むから、もう、誰とも一緒にいたくないんだ。お願いだから、こっちに来ないでくれ。…何も、失いたくない、」
■春咲 始:夜刃月蒼
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幸せになるのが怖いんだと言ったら、彼奴は「なあに、それ」と微笑んだ。まだ付き合って半年ほど経った、あくる日の出来事だったと思う。
人生には山あり谷ありと言うが、俺の人生は幸せの後には必ず不幸が訪れるようになっていると気付いたのは割と早い時期だった。一瞬の笑みの後は必ず尾を引くような不幸がやってくる。それに気付いた時から、幸せになるということが怖くて仕方なくなった。刹那の幸福で不幸になるくらいなら、一生何も感じない平坦な日々で構わない。そう言ったら、彼奴は俺に笑いかけたのだ。
「じゃあ、私が始を幸せにするよ」
「…でも、それだと不幸になるって言っただろ」
「だから、その不幸すら感じられないほどに幸せにしてあげる」
「…そんなこと、出来っこない」
「出来るよ」
「…本当にか?」
「うん。勿論」
俺の手を取ってそう笑った彼奴は、あの時誰よりも綺麗だとそう思った。ただ彼奴の言葉を半信半疑に信じていた俺だったけれど、あの日から確かに彼奴と過ごしていた日々は着実に鮮やかな景色になりつつあったんだ。彼奴の言う通り、俺は幸せだった。幸福を感じていた。それは確かだった。
だからきっと、不幸になったんだ。幸せを噛み締めていたから、不幸せになった。だって、彼奴は俺にあんな約束をした半年後、雨の降る日にブレーキの利かなくなった車に撥ねられて、そのまま死んでしまったのだから。
「──始さん」
「…お前、確か、」
「はい。貴方の恋人だった…姉さんの弟の、八代城咲良です。…始さん。俺を、姉さんの代わりにしてください」
咲良がどうして俺の元に来たのか、何故彼奴の代わりにしろと言ったのか、それは分からない。けれど確かに言えることは、咲良を見ていると彼奴を思い出して苦しくなることだ。俺が幸せになってしまったせいで、彼奴を死なせてしまったのだとしたら、彼奴が死んだのは俺のせいだ。──なら、咲良を見ていて苦しくなるのは、その罰なのかもしれない。
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