円尾坂の仕立屋
mothy_悪ノP
円尾坂の仕立屋
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🎡 研げば研ぐほどよく切れる 🎠
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第23幕『女の毒は後で効く』
幾度か季節が巡り、艺涵が洛陽様の元へ来てから五度目の春がやってきた頃。洛陽様が暗く沈んだ表情になる日が増えた。昨今の会合で何か嫌なことでもあったのだろうか。艺涵が尋ねると、洛陽様は額を押さえたまま、それでもたおやかな笑みを向けた。
「いや、大したことはない。ただ、親の権力で成り上がった若い貴族に、少々面倒な者がいてな……」
本来ならば、貴族の内情を召使いである艺涵が聞くことなど有り得ない。けれど、その日の洛陽様はきっと、そんな判断が鈍るほど芯から参っていたのだろう。ぽつりぽつりと告げられて弱音に、艺涵は同情して眉を寄せた。そして同時に、彼の弱みに寄り添う優越感にも浸っていたのだった。
「わたくしに出来ることがあるのなら、何でもいたしますわ。次の会合には、是非ともわたくしをお連れくださいませ」
双眸を潤ませ、艺涵は腕を組んで心配そうに洛陽様を見上げた。じっと目を逸らさない彼女を見て、洛陽様は緊張が解けたかのようにぐしゃりと顔を歪ませた。凡そ貴族に似つかわしくない、ごく信頼している者の前でのみ見せる表情だった。
「ありがとう艺涵。其方が居ると心強い」
洛陽様は、艺涵の白く線の細い両手をそっと手に取ると自らの唇を寄せた。
「ら、洛陽様……?」
艺涵が息を飲んで手を退こうとしても、彼は暫く動かなかった。やがて、彼は意を決したように顔を上げると、飴色の艶やかな瞳で、目の前のしがない小娘を真っ直ぐに見つめた。
「今から私が言うことは、けしてからかいや冷やかしの言葉ではない。……艺涵、其方に、私の伴侶となってほしい」
洛陽様の芯の通った眼差しが艺涵を射止めて貫いた。静まり返った部屋の中で、彼女が洩らした細い声だけが場違いに響き渡った。
「私と添い遂げるのは、嫌か」
「い、え、とんでもございません。そんな、幸福、わたくしには勿体ないことです。けれどわたくしは、ただの仕立て屋の娘でございます。貴族の振る舞いなど、とても、とても……」
艺涵は顔を覆いながらあたふたと歯切れの悪い返事をする。この姿は洛陽様の目にどう映っているのだろうか。奥ゆかしくうぶな娘に映っているのならば全て思い通りだ。
本音を言えば、今すぐにでも彼の手を取って頷きたかった。俗世を知らない純粋な貴族様は、弱さも受け入れて慕ってくれる懐の広い娘がお好みらしい。凛とした表の雰囲気から程遠くかけ離れた彼の中身。召使いの娘に縋らなければならないほど繊細だった洛陽様の姿を見ても、艺涵は幻滅などしなかった。むしろ彼の生き様は、艺涵の心をぞくりと震わせた。恋情・愛情などという言葉では到底片付けられない感情だった。彼を私のものにしたい。今までに見たどんなに綺麗な反物よりも、彼の表情一つ一つの方が美しかった。
「ああ、艺涵、顔を上げておくれ。どうか私と……」
痺れを切らしたように上擦った彼の声が、頃合いの合図だった。艺涵は勢いよく視線を上げると、態とらしく二粒涙を零して、ゆっくり頷いた。
「わたくしも、貴方様の一番お傍にいられたなら、どんなに良いだろうと思っておりました。夢のようでございます」
本音と思惑が混ざりあった言葉で洛陽様を翻弄した艺涵は、頬を染める彼の腕の中にさりげなく身を寄せた。布越しに伝わる心臓の鼓動は、まるで二人を祝福する軽快な楽の音のように高鳴っていた。
愛する者の腕の中、艺涵は密かに口角を上げた。これで私は、名実ともに洛陽様の家族になれる。数年かけて築いてきた信頼と地位、彼からの寵愛。私の心を満たす全てを、これから先誰にも奪わせやしない。少しでも私の世界に綻びを与える者がいるのならば、私は人の道を外れてでもその存在を許さない。
「洛陽様。会合にはわたくしも参ります。貴方様は胸を張って、堂々としていれば良いのです」
そうだ、洛陽様が余計な人間のことで憂う必要などない。
「……まず、一人」
会合に参加する者たちの名簿に氷柱のような視線を滑らせながら、艺涵は毒性のある染料をそっと小瓶に移し替えた。
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薄暗い部屋の中、いずれ妻となる艺涵の寝顔を眺めながら、洛陽は垂らした墨のように広がる頭痛に耐えていた。
この心因的な痛みの原因となっているのが、都の中で立て続けに起きている摩訶不思議な出来事だ。突然血を吐く男、美しい着物を身にまとったまま倒れ伏す女。ここ数ヶ月で命を落とした貴族たちのほとんどが、奇っ怪な不審死を遂げていた。更に奇妙なことには、亡くなった彼らは皆、洛陽が厄介に思っていた人々ばかりであった。
まるで何者かに己の心を読まれているような、不気味な恐ろしさが洛陽の背を這う。まさかと思いちらと隣を見たが、そこにはあどけない表情で睫毛を伏せ眠る、普通の娘が映っているだけだった。
「確かに、私は艺涵に弱音を話し過ぎた。けれど、彼女に人を殺めることが出来ようか。生まれてからずっと、裁縫ばかりに身を捧げてきた子だ。出来るはずがない」
自らを納得させるように呟きながら、洛陽は重い腰を上げて襖を開く。藍の空に浮かぶ月でも眺めれば、或いは気が紛れるかもしれない。そう考え部屋を後にした洛陽は、背後から忍び寄る視線に気がつかなかった。彼の去った部屋の中央、柔らかな布団から除く女の目は、血に飢えた獣を思わせる鋭い生気を放っていた。
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眼前にはガタガタと震え出す婚約者の姿。見られてしまったのならば仕方ない。艺涵はにこりと微笑むと、たった今豪勢な死装束を着せたばかりの女の顎を持ち上げた。
「この方とはどういうご関係なのですか? わたくしという者がありながら」
「彼女は、私が懇意にしている方の奥方だ。何もやましいことはない。ああ、やはり、やはり罪無き者を葬っていたのは其方だったのか……!」
歯を鳴らしながら、それでもこちらを真っ直ぐに見定める洛陽様。艺涵の大好きな顔が良く見える。
「左様でございましてよ。だって貴方、最近わたくしに冷たいのですもの。わたくしが貴方を困りごとから遠ざけてさしあげたのに、どうしてそんなに怯えた顔をなさるのですか? どうして他の女とばかり話すのですか?」
その口から、他人の名が出てくるだけでもう堪らなかった。私だけを呼んでほしいのに。今まで、それだけのために都中の衣装に毒を織り交ぜてきたというのに。
「最近の貴方は暗い顔ばかり。どうして? 苦手な人がいなくなって嬉しいでしょう? 悩みの種が消えたのなら、もうそんな顔をする必要はないでしょう? わたくしは、貴方を深く想っていただけよ。想っていたから何だってできた。どうして笑ってくれないの? 昔みたいに笑ってよ。家族だって言ってよ。愛してると言いなさいよ……!」
艺涵が手に持った小瓶を振り上げると、洛陽様の目の前に緑色の液体が飛び散った。途端に強い薬品の臭いが鼻をつく。洛陽様は浅く息を吸うと、意を決したように袂から短刀を取り出した。
「其方はもう、私の家族ではない。其方こそ、私を愛しているとはよく言ったものだ。其方がしていることは、私を盾にした自己愛の暴走に過ぎない」
「そんなことないっ! そんなはずない! 何故分かってくれないの!? こんなに愛しているのに、ああ、あぁ……!」
長く美しい髪を掻きむしり、艺涵は呂律の回らない声で叫びながら洛陽様に飛びかかった。縺れ転げ回りながら、やっとのことで担当を奪い取った艺涵は、目にも止まらぬ速さで洛陽様の左胸を突き刺した。
「……! なんという、ことを……」
狂乱した彼女の目には、最早洛陽様の姿など映らなかった。彼女が突き刺したのは、思い通りにならなかった男の成れ果てでしかない。
「艺涵、出会ったばかりの頃の其方は、誠に美しかった。ひたむきに布を織るその姿が、私は、本当に……」
伸ばしかけた彼の手は、空を切って床に落ちた。最後にその手を取っていれば、結末は違っていたのかもしれない。けれど、艺涵の耳にはその乾いた音は届かなかった。錯乱した彼女は、彼が動かなくなったことに気がつくと壊れた機械のように笑いだす。
「ふふっ、うふふふ、私を騙すからいけないのよ! こんなに愛してあげたのに! 全て台無しだわ。全て……!」
ほつれた髪をかきあげて、艺涵はふらふらと床に座り込む。瓶から飛び散った液体を両の手で掬いあげると、縋るように液体へ顔を埋めた。
「貴方のために全てを捧げたのに、貴方のいない世界なんて意味がないわ」
唇に触れた染料が、ゆっくりと全身を巡っていく。あとどれほど目を開けていられるのか、含まれた毒の効能を良く知る彼女には愚問だった。
「私、いつから狂ってしまったのかしら……」
ぽつりと吐かれた弱々しい声は、空気に混ざりたちどころに消えていった。
きっと、二人は同じ場所へは辿り着けないのだろう。幸せだった頃の甘やかな記憶だけが、暗闇に堕ちていく艺涵を包んでいた。
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「さぁ、仕立てを始めましょう」
円尾坂の片隅にある 仕立屋の若き女主人
気立てのよさと確かな腕で 近所でも評判の娘
そんな彼女の悩みごとは 愛するあの人の浮気症
「私というものがありながら 家に帰ってきやしない」
だけど仕事は頑張らなきゃ 鋏を片手に一生懸命
母の形見の裁縫鋏 研げば研ぐほどよく切れる
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〖CAST〗
🕸イリス(cv:RAKKO)
https://nana-music.com/users/5226056
〖ILLUSTRATOR〗
日向ひなの
https://nana-music.com/users/2284271
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〖BACK STAGE〗
‣‣第22幕『恋情盲目』
https://nana-music.com/sounds/06b6be5b
〖NEXT STAGE〗
‣‣第24幕『???』
#AMUSEMENT_AM #円尾坂の仕立屋 #mothy #悪ノP
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