アンダインの約束 ソフィー
Ado
アンダインの約束 ソフィー
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足は風のようにまっすぐ迷いなく進んでいく。見たことの無い風景、初めて進む道、嗅いだことのない潮の匂い…ただでさえ冬の寒さが染みるのに、海風がより冷ややかに体を刺す。暗く灰色の波が道の隙間から見えるようになった。走り続ける足は傷がつき、肉体疲労で上手く動かなくなってくる。それでもただ淡々と吹き進む風のように動き続けていく。
「…アイム…」
彼を思うと何故か今見える海の風景も浮かぶ…二人で訪れた事も、まして見た事もない海。話では何度も聞いていたあの場所…。アイムの故郷、そして…私が動く事となった場所…知らない場所…でも
「帰らなきゃ…」
そう思うのだ。ずっとずっと何万年と…そこに居た様な感覚。ありえない、幾らオートマタでも生物を基盤としたこの体はいつか朽ちる。なのに…
道はいつしか砂浜と化し、潮騒と己の息の音が耳にうるさくなった。海風と灰色の海、砂浜を踏む感触がソフィーを支配した時、限界が訪れた。足がもつれて転び、そのまま疲労しきった四肢は体を起き上がらせる事が出来ない。見知らぬ砂浜でたった一人寝そべるソフィー。周りには人気がない…遠くに建物らしいものが見えるが、廃墟なのだろう…あちらこちらから雑草が生えている。絶望的な状況…だが、不思議とソフィーは幸せな気持ちだった。…視界が霞む…ソフィーはゆっくりと目を閉じる…
「…ソフィー!お前なのか!?ソフィー!」
冷え切った体に温かな手の感触が伝わる。ぼやけな目には真っ青な顔のアイムが見えた。…あぁ、アイムを思うと浮かぶ海…ついに私は現実にこの風景を見れたのだ…。ニコリと笑うと意識が切れた…。
…目覚めた場所は古い小屋だった。外は朝焼けで明るい…布団が足りなかったのだろう。アイムの衣服や上着が布団の上に何枚も重ねてかけられている。しかしアイムは居ない。ソフィーはベッドから起き上がる。足は不思議と傷が埋まり、薄い傷跡だけになっていた。…歩ける…アイムの上着を羽織り、潮騒の元へと歩き出した。
朝日にキラキラと光る海。明るい風景なのに、その海は話通り灰色の味気ない海…そこに一人の男の背中。酷く哀愁漂う情景だが、何故だかずっとずっと見たかったとソフィーは感じた。
「…!ソフィー、起きたか?もう体は…」
「…大丈夫」
ソフィーはアイムの横に座り砂浜で二人海を眺めた。黙って出ていったアイムに何も言わずに無言を貫くソフィー。堪らずアイムは口を開いた。
「…俺なんかは下っ端だったから…会ったこともないんだが…オートマタ製造に関わる全ての資金を支援していた奴が、理事会や義勇軍、裏の世界の奴もまとめて出来た連合部隊に殺されたらしい…金と後ろ盾がなきゃ、俺らみたいなならず者は脆いものだ…。ずっと、死ぬまで逃げ続けると思った…いや、逃げ切れずに殺されると思ってた」
ザザーン…何も無い海を見つめるアイムの目は、同じ灰色をしているように見えた。
「…すまん、あまりに唐突の事で…事実確認に向かってたんだ。いっそその話がデマで、俺が死んだとしても宿の娘として生きてくれれば…そんな風に思った。人ではなくても、せめて人並みの幸せの中で…」
ザザーン…ソフィーは何も言わない。
「…すまん」
また沈黙が続く。冷たい海風が二人を包む。
「…夢を見たの。海の精霊の夢…女の人の歌が聞きたくて…ずっとずっと…ずっと…でも女の人は現れなかったの。最後の時に私の代わりにこの子を見ていてって頼まれた。けれど、居なくなったら…約束を…守れないから…」
そう言うとアイムの服の裾をギュッと掴んだ。アイムは観念したように長く息を吐くと、ポツリと語り出した。
「…その夢は…恐らく夢じゃない。オートマタは…夢を見ない。人形だからな。それはお前の母さんの…いや、お前の基盤の記憶だ、ソフィー」
アイムは頬に触れると瞳を覗き込んだ。
「…母さんはウンディーネにそんな事を約束させたのか…。前に話したかな?俺は母を知らない…生まれて直ぐに死んでしまったからな。知っているのはウンディーネの様に美しいヒレの美人だという事と、海でよく歌っていたという話だけ…寂しかった。母に抱きしめられるのは、愛されるのはどんな感じなんだろうな…友人がずっと羨ましかった。でも…俺の成長を海からずっと見ている存在が居た…それが、お前のそのラリマーの元であるウンディーネだ…」
アイムはソフィーから目を海へと逸らした。
「海へ行くと必ず同じウンディーネが姿を表して俺を見守っていた。いつ、如何なる時もだ。俺はいつしかそのウンディーネと母の姿を重ねてみるようになった。そして成長と共に、俺はそのウンディーネへの気持ちが恋心なのだと気づいた。彼女に名をつけ、沢山話しかけた。周りのやつは俺をバカにした。ウンディーネに話しかけたって答えなんてないのに…海の魚に恋するようなもんだ…でも、あの時の俺は本気だったと思う」
静かにアイムは俯いた。
「けれど、生きる者はどんどん成長する…俺もいつまでも純粋な少年ではいれない。金の価値を覚え、娯楽と快楽を覚えれば…叶わぬ恋も、この何も無い灰色の故郷もただ疎ましいとしか思えなくなった。俺は…故郷と人道を捨てた。金の為に確実にヤバいと分かっているオートマタに手を出した…奴らの仲間になるのは簡単だった。人が常に足りないからな。魔族や霊物、時に人だって素材として襲って殺し…歪な愛玩人形にして売り捌いた。けれど、俺らは神じゃない。どんな魔法を使っても、どんな素材を使っても…人形は長く持たずに崩れていく。命なんて作れない…それでも俺は構わなかった。もっと金が欲しい!アイツらのルールに従ってたら稼げない。客の幅を広げ、荒稼ぎする事を覚え初めて、調子にのってたんだ…有頂天になった時だった。俺は故郷がより過疎化して落ちぶれたのを聞いた。だから捨てた故郷に向かった。目的は一つ、惨めな故郷に成功者の俺を見せつけて、自分を肯定したかった。本当にくだらない見栄のために動いた。それが馬鹿だったんだ」
アイムは顔を手で覆う。
「俺の身勝手な行動が目に余ったのだろう。組織の殺し屋に襲われ、丁度この場所で俺は殺されかけた。けれど、俺の代わりに殺されたのは…俺の初恋のヒトだった。彼女は精霊だ。死体は海の水面の様に美しい石となって二度と動かなくなってしまった。殺し屋の命を共に連れ去ってな…俺はその時やっと愚かさに気づいた。しかし遅すぎた…俺の母は…俺の想い人は…。でも、俺は諦められなかった。俺は石となった聖遺物を、横流ししようと保管していたオートマタに埋め込んだ…そして、俺はそのオートマタに名をつけ、娘として共に生きる事を決めたんだ」
アイムはこちらをまっすぐ見つめる。
「ソフィー、それは母であり、想い人であり、娘の名前だ」
何時間黙って海を眺めただろう。そろそろ日が沈み始めている…。今日は遅いし小屋に帰ろう。そうアイムは言って立ち上がろうとしたが、ソフィーはアイムの裾を掴んで止めた。
「私は…アイムのお母さんなのか…ウンディーネなのか…オートマタなのか…分からない。でも、アイム。私、隣でお話出来るのがいい。一緒に歩くのがいい。助け合い、するのがいい。このお願いが…他の誰でもない、私だけのお願いだったらいいな」
アイムは困ったような、それでいて幸せそうな顔をした。
「明日の事すら決めてないんだ。宿に帰るべきか、故郷に残って生きるか、また旅をするか…」
冷たく清々しい海風が二人の髪を靡かせた。
「どこへ向かうか、最後まで見届けてくれ」
2人は手を繋ぎ、浜辺を後にした。
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コメント
2件
- カミツキ街キリエの商店街
- ナツ蜜柑🍊ソフィー、アイムと出会ってから、彼らを見守ることがとても楽しみになっていました。 アムとイムのうたは大好きな作品の大好きな劇中歌で、そこから生まれた2人がこんなにも素敵な日々を送り、たくさんの人と出会い成長していったことが、ただただ嬉しいです。 たくさんの素敵な思い出をありがとうございました! またいつかどこかで、ソフィー、アイムと会いたいです。