メイド イザベラ・フローレス
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メイド イザベラ・フローレス
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「…お姉さん、ありがとう」
お客様だろう、子供がおずおずと感謝を述べる。手にはぬいぐるみ…その腕に小さな違和感がある。どうやら綺麗に上から縫い直されているようだ。
「いえ、当然の事をしたまでです」
メイド服に身を包んだ若い女性が機械的に答えた。深いオリーブグリーンの目が静かに見下ろす。この反応に子供は黙り込んでしまった。
「おやおや!良かったですなお客様。大事なご友人の大怪我に悲しまれていたから心配しておりましたよ!」
後ろからホテルのオーナーらしき初老の亡霊が出てきたのを見て、子供はぱあっと表情を明るくした。
「そうなのシェイドさん!この子ったらお転婆なのよ?目を離した途端に薔薇の棘に腕を引っ掛けてしまったの。きっとお花が可愛かったのね!」
まるで孫と祖父のようだ。オーナーはしゃがみこんで子供の話を聞いている。
「薔薇…ですか。剪定をし直さねばなりませんね」
メイドはまた同じように無機質に、そして無表情で言い放つ。せっかくの和やかな空気がまたぎこちなく固まってしまった。バサバサバサ!遠くでヨルが手を滑らせて本を落とす音だけが凍った空気の中聞こえた。
…ホテルの次元から近い世界線。そこは絶対的な皇が世界を治めていた。そんな世界のとある貴族の家に綺麗なオリーブ色の瞳の女の子が産まれた。彼女はその血統、容姿、そして生まれ持った才能を兼ね備えた血族きっての「秀才」として、一つの大願を背負う事となる…「皇の妃」の座をものにする為、皇への天花となる運命だ。
無論、妃の座を狙う貴族の娘などごまんと存在する。産まれてからものを見、言葉を発するか否かの頃から、ありとあらゆる花嫁修業が開始された。教養、所作、品性…稽古の内容は多岐に及んだ。貴族の娘であったとしても「女」として求められる全てを彼女は出来なければならない。勉学は勿論の事、料理、掃除、裁縫、フラワーアレンジメント、舞踊、ポエム…あげればキリが無い。隙があってはならない。敵は何万といる全ての女性…皇が何を見初めるかなど分からないのだ。故に、全てを網羅しなければならない。
「…婆や、私…あそこへ行きたいわ」
今日も彼女に己の時間などない。著名な天文学者の元へ馬車で向かう途中、少女は世話役の老婆に小声で呟いた。
「いえ、イザベラ様…。お顔が日で焼けてしまいます。下々の子供と戯れる時間など…お怪我をしては事ですよ」
煉瓦の家、壁を這う薔薇の花を詰み遊ぶ同世代の子供達が楽しそうに笑うのが馬車の窓から見える。
「…そうね。薔薇が伸びすぎているわ。剪定しないと…」
馬車内は車輪が道を走る音だけが響いた。
完璧こそ当たり前。私は特別な存在であり、そうでなければならない。贅を尽した化粧に宝飾、衣服は大部屋を埋め尽くす程。そして忙しなく続く勉学の日々…貴族だから叶えられる生活だろう。こんな暮らしを夢見る者も居るかもしれない。しかしイザベラの心は静かに、緩やかに歪んで行く。真綿でゆっくり、ゆっくりと絞められていく様に息苦しい呼吸。でもイザベラは気付かない。何故ならそれしか知らないのだ。産まれてからずっと、彼女は「花」でなければならない。それが当然で、普遍で、疑問などあるはずがない日常…。
「フィナンシェ、ビスコッティ、マカロン、カヌレ、シュトーレン…」
「流石ですわ、イザベラ様!全て完璧な出来栄え…もう教えることもございませんわ」
あぁ、甘くて良い匂い…でも食べる事は許されない。体型の維持は絶対だ。己の作るものの味すら知らず、黙々と腕を振るうだけ。
「ガリカ、アルバ、ダマスクス、ケンティフォリア…」
「完璧です、イザベラ様。ローズの細かな品種もピタリと当てられるとは!」
あぁ、美しく良い香り…でも香る事は許されない。植物に触れて汚れたり怪我をしてはならない。
「フェレット、ハリネズミ、チンチラ、カワウソ…」
「素晴らしいですぞ、イザベラ様。この国にも存在しない動物をご存知とは」
あぁ、何て愛らしい…でも触れる事は許されない。噛みつかれ、病気をうつされたら全てが無駄になる。
「…イザベラ様!どうかお逃げ下さい」
毎日繰り返す異常な日常は、意図も簡単に崩れた。しかもそれはイザベラの意志を無視して訪れた。
「…皇がお亡くなりになりました。新たな皇になるべく、この世界は混沌に落ちるでしょう。今では力ある男が珍重され、戦いを知らぬ女児は金のかかる荷物だと…徒花は切り落とさねばならないと…あぁ、昔お会いになった隣国の令嬢、あのお方も既に殺されてしまいました。時間がありません!どうか!!」
そう言うと婆やは次元超えの鍵を差し出した。
「私達もいずれ殺されるか捨てられるでしょう、逃げるだけの時間を私達が確保致します…婆やは…私は…イザベラ様と共に生きられて幸せでございました…!」
そう言うと、鍵で開かれた歪みへとイザベラを突き飛ばした。籠の中の花として生きてきたイザベラにとって、この時に感じた感情にどうして良いのかも分からなかった。声もあげず呆けた顔のまま歪みへと呑まれて消えた。
「…ただ、婆やはイザベラ様の心から感じる表情を見とうございました」
「はい!お姉さん!こ、これ…お礼だよ!」
子供の声ではたと現実に帰る。子供の小さな手には兎と花の形をしたチョコレートが乗っている。
「ふふふ、知ってますか?実はこのメイドさん…可愛いものや甘いものに目が無いのですよ!」
それを見たオーナーがクスクスと笑う。
「!!…べ、別に私は!!甘いものは太りますし、可愛いものなんて…」
反射的に反論してしまった。それを聞いた子供は今にも泣きそうな顔をしている。ほらほら…オーナーが目配せでイザベラを促す。
「あ、ありがとう…ございます」
その言葉に子供はまた微笑んだ。チョコを受け取るイザベラの顔は耳の先まで真っ赤に咲いていた。
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ようこそ、イザベラ
De:froNのスタッフとして歓迎致します…
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