裏のステップを踏め
Ado
裏のステップを踏め
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朝と夜の狭間、闇が静かに剥がされる濃紺の空…。既に眠りに着いてしまった月の代わりに、銀の髪が風に靡く。手にはいつもの頑丈な施錠ができる鞄。まだ暑さがとぐろを巻くこの時期に重厚な黒のスーツと黒のハット。そして顔には黒のマスク。もはや目元とエルフ特有の長い耳しか見えない、黒の筒が地面から生えだしたような人影が漆喰の小さな建物から人目を避けるように出てきた。風が強い…耳に轟轟と風が走る音が喧しい…その中で唸るような怒気を孕んだ声が流れてきた。
「流石ボス。やはり宝石商は裏切った…裏切った…!!」
ザッ!鞄を庇いながらグランは振り返る。光源の少ない空の元、その大きな体はまるで魔獣のように禍々しく見えた。手には歪な形の棍棒が握られている。あの武器は何人の命を屠ったのだろう?所々こびりついたシミや、頭蓋の大きさの窪みが見える。
「おかしい…我々との取引は2日後のはずだ。何故、その鞄を持って出ていく?こんな時間に…」
穏やかな口調の裏でフゥフゥと怒りと興奮で荒れる息遣いが聞こえる。
「はて?なんの事か。もしこの鞄の中身がラリマーではなかったら、どう落とし前をつけるつもりで?」
「ボスは偉大だ。お前が俺と取引する前に別の集団と取引してるのは掴んでおられる…商品はラリマー。ボスは賢明だ。その後お前に取引する客が来ないよう、俺をここに遣わせた。つまり、お前はラリマーの取引以外仕事が無いはずだ…」
「なんてはた迷惑な…それ、僕の商売を妨害したってことですよね」
「ボスは完璧だ。お前が我々の取引に応じればもてなし、裏切れば殺せと…きっとその鞄の中にはお前が持つ全てのラリマーが入っているだろう。どちらにせよ我々はそれを手に入れる未来が来る。そして…俺にとって…」
傷だらけの体、牛の獣人…角が怒りで空を刺す。棍棒がゴウ!!と唸りを上げて振り上げられる。
「俺にとって!ボスは絶対だ!!!」
ガッ!ザザザザ!!!さっきまでグランが立っていた場所は無惨にも土が抉られ、棍棒についた突起物で引っ掻きあげられた。開演を歌うように舞い散る土。土煙を引き裂くように投擲ナイフが獣人目掛け無数に飛んでくる。グォォォオ!!大地が轟くかの如き雄叫びと共に、棍棒を乱暴に振り回す。粗方は叩き落としたが、数本が獣人に刺さる。
「貴様、命令とはいえ僕の商売を邪魔した罪から逃れられると思うなよ?死ぬより苦しい痛みに藻掻け!」
ウググググ…獣人の傷口が紫に代わり、目は血走り、口から泡を吐く…だがしかし、彼は倒れない。
「ボスは絶対…。お前、何故裏切った…獣人の集団より、ボスはきっと高値で買ってくれたはずだ…良い客も教えると仰った…何故!?」
「それはお客様のお眼鏡に合えばの話だろ?買われないリスクは付きまとう。何より…お前らが純粋に宝石の価値として良い商品を探しているとは思えない。そうだとしても、ラリマーだけにこだわる理由がない。なら、何故か…。悪いがその理由、僕には興味はない。しかし、確実に何かにおいて悪用されるのは目に見えている。宝石はそれに属する精霊の力を宿すからね…。買われなかったとしたらただの無駄足。それならまだマシだ…もし買われたとしたら…」
靴の踵を踏みしめると、カチリと音がした。靴から仕込み毒刃が飛び出でる。そしておもむろに大きな爪が鉄で打ち込まれたグローブを手にはめる。
「買われたとしたら、僕は『何か』の共犯者にされる。そして客をつけると言うが…其奴は確実に『何か』の主犯だ。そんな輩を付けられたら…先はもう見えているよね」
戦略と推理、相手を喰い合う「知」のダンス…。口から絶え間なく泡を吐く獣人、目から血の涙が溢れ出す。
「賢いのは!ボスだけでいい!考えるな!!ボスの言うことさえ聞けばいい!ボスは絶対!ボスはぁぁあ!!」
最後の演目へ戦いは進む。
死に直面した者だけが出せる底力なのだろう。巨体と大振りな武器が嘘のように機敏に動き出す。全力で殴り掛かるモーションに素早く回避すると、何と腕は即座に軌道を変えた。馬鹿な!あれだけの力で動いたものが方向を変えるのはそれ以上の力を要するのに!棍棒がグランを掠める。血がどっと流れるが、ここで動きを止めたら死ぬ!即座に飛び上がり体をひねると、追いかける棍棒を尻目に背中の一点を靴の刃で刺す。獣人はグリンと体を捻るとグランの腕を掴み地面へと叩きつけた。赤い涙を流しながら殺しの悦に嗤う獣人の顔がグランを見下ろす。その隙をついて太ももへと爪で深々と切り裂く。ああ!!痛みに蹲る獣人の首めがけ爪を差し込んだが、直ぐに反応した獣人に頭を掴まれた…ギリギリギリ…軋むような嫌な音が響く。グランは頭を握られ持ち上げられた。体はダラりとぶら下がり、顔は獣人の顔の高さまで持ち上げられた。
「お前の綺麗な顔をボスに持っていけないが…お前の無惨な体だけの死体を捧げる事にしよう」
グランは血を垂らしながら、震える手を獣人へ伸ばす。
「祝え、讃えよ…風の使徒。我が前には偉大なる英雄。今こそその戦果を風と共に広げよう。その腕が敵を屠り、その足が崩れることのない様に…祝福せよ!エルメス!!」
祝福の魔法が獣人を包む。力が増大する魔法を受け、獣人の筋肉は盛り上がり、血流はグルグルと体を駆け巡る!一瞬高揚した顔は一気に真っ白になり、紫へと染まりながら倒れた…。
「ツボに打ち込んだ毒が、魔法で一気に体全部を蝕んだんだ…。僕をここまで傷つけて、すぐに死ねたのだから幸せだと思えよ…」
獣人に吐き捨てると鞄を抱え道へと引き返そうとした。
「おやおや…遅いと思えば…?」
そこには狐の獣人…。わざわざ出向いてきたのだろう。
「お客様も、この件に一枚噛んでいるので?」
「いやいや…ラリマーの高騰は奴らの仕業かもしれんが、私たちはその高騰の上澄みを啜りたいだけなのですよ。これだけの参考品があれば模造品も良いものが出来ましょう。何が目的かは知らないが、偽物を掴まされて嘆く者が出ようと、知った事ではないんでね。私たちのスタンスは貴方と同じ…金を稼ぐだけですよ…はは」
もし、売る相手を変えていれば、何か情報を得れたのかもしれないが…今はただ、全てのラリマーを売り払った稼ぎを手に、夜と共に姿を消した。
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取引を終了しました。
光のマナを稼ぎとして一つ手に入れた。
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