第5話 悪党編8「隠密酒蔵 梟酒造」(ゆきん)
秘密結社 路地裏珈琲
第5話 悪党編8「隠密酒蔵 梟酒造」(ゆきん)
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「今帰った......ゆきんは、今日はどこ行った。これから今度撒く麹の話をしたかったんだがな」
「ゆきんこなら籠ってますよ、昨日の夜からずっと。“烏たちが騒ぎ出した”ってね」
山からいく筋も降りてくる清流に囲まれた、森の中の日本家屋と立ち並ぶ酒蔵。巧妙に隠された現代に残る数少ない忍者屋敷を、電柱のような黒い影がすっすと音もなく歩いてゆく。
梟酒造の当主、親方さまことヤマトには、二人の側近がいた。
一人は“まろなげ”、もう一人は“ゆきん”。
元は娘、アカリの世話役を探した縁で出会った二人だが、娘がいたく気に入り、鍛錬にまで同行させたのが大当たりだった。
忍者どころか武術の武の字も知らぬ、そんな勘の良い素人だった二人は、かえって妙な癖や拘りがない分、気づけばアカリを追い越さん勢いで成長し、彼女たちは彼女なりの得意分野を磨いていった。そのひとつが、ヤマトの目指す先で展開される“蜘蛛の巣”と呼ばれるものだった。
母屋の2階を抜け、そのまた上、屋根裏を改装したゆきんの部屋に上る途中、ギシリとわざと木の階段を踏み鳴らしてみたが、反応がない。こういう時はだいたい、彼女は思い詰めている。
ノックを強めに三度鳴らし、嫌でも耳に音が入るくらいの合図でちゃんと警告を送った後、返事を待たずに扉を押し開ける。案の定、ゆきんは夕焼けが流れ入る広い部屋の隅っこで、ソレに耳をそばだてていた。集音器の首輪が着いた、お供の伝書鳩たちが呑気に豆を突いている、その隣で。干し草のソファに埋まりながら。
開いた窓や、屋根から引き入れられた無数の糸状のものが、あやとり紐のように重なり合って、でも決して互いに触れないように寄り集まっている。計算された構造は、ゆきんがロープワークを学ぶ中で自ら編み出したものだ。
糸が寄り合った先に繋がれたのは、巻貝や紙コップ、古く燻んだグラスの数数.......無言でずかずかと歩み寄り、彼女が両耳に当てていたそれのひとつを取り上げてみれば、中からはどこに合わせられたチューニングであるか、異国のニュースや、街中の雑踏が聞こえてくるではないか。手元には、書きかけのプロファイルノート。一人称で綴られた様々な人間の言葉を根っこに、連想ゲームの如く掘り下げられた考察が書き連ねられていた。
しかし、190にもなる長身に仕事道具を持っていかれてしまっては、慌てて手を伸ばしたところでどうにもならない。彼女はその場で丸まるように正座して、ようやく情報まみれの世界からこちらに戻ってきた。
「親方さま...すみません!つい熱が入ってしまい...!!」
「心配したよ。お前は真面目だから、すぐ思い詰めて誰かの思想に入り込む」
「お菓子の国での人身売買事件や、空賊の活発化、どれも裏で手を引いていたヤツが居たなんて...本当はアカリお嬢さんの留学先の安全だけでも、確かめようと思ったんですが」
「なるほど、その途中でリンちゃんから何か焚き付けられた、と。構わんから詳しく聞かせてくれ、まろも呼んでお茶にしよう。タケルからマドレイヌを貰って帰ったんだ」
「蝙蝠屋のおじさまに会われたのですか!?じゃあ、やはりリンタロウさんはもう既にご出発を...!!」
「はは...そのご出発のくだりが、全くごっそり秘匿されていて困ってるんだよ、こりゃあ話がややこしいなぁ」
ゆきんの部屋には、夥しい変装用の衣装が飾られている。全て、彼女のためにまろなげがあつらえ、それを着込んで各地に潜り込むのだ。お菓子の生地で出来た郵便屋の制服と、特殊な質感のファンデーションが机の上に放られて、まだ比較的新しい。
彼女は訳あってお菓子の国に潜入している間、悲惨な光景を幾度となく目の当たりにした。それはどれも、卑劣かつ、猟奇的な人攫いの現場だったと聞く。そしてその惨状をどうすることもできないまま、記録だけが溜まり、心が追い詰められた頃、とある集団があっという間に苦境に希望を見出させて、姿を消してしまったと言っていた。
彼らの名前は“路地裏珈琲”、ヤマトの耳には大変馴染みが良い、同盟関係の一団だった。
その話を語った日から、ゆきんの様子に少し変化があり、以前にも増して物思いに耽りながら“蜘蛛の巣”に籠ることが増えた。家の書庫から書物を持ち出し、読書をする頻度も増えたように思う。
ああ、この子を苦しめる何か...後悔や無力感が、今でも彼女の胸に刺さったまま残っているのだろう。ヤマトは、自分を潤んだ目で見上げるゆきんの目を覗き、はっきりとそう確信した上で、“茶にしよう”と、優しく頭を片手で包み、もう一度促したのだった。
「親方さま」
「うん?」
「私、悪人の心を知れば、彼らを救うことも、ねじ伏せることもできる、そんな方法がわかると思っていました。でも、知れば知るほど分からなくなるのです」
「ゆきん...」
「だから、珈琲屋にちゃんと会ってみたい。あの街で、訳もわからず乗り込んできたのに、活路をこじ開けた彼らに。まだ、舞台から降りてもらっては困る...!!」
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変幻自在!梟酒造の新米忍者、ゆきんさんが、坊ちゃんからのSOSを受信したようです。
いざ、梟酒造が表舞台へ...
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