あいのうた
ねこぼーろ
あいのうた
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#エスタシオン事務所
「私には、私を『姉さん』と呼んだ、あの声だけが今の全てよ。…だから、ごめんね、早月。何もかも、背負わせて。」
■真木田 花鈴:あいまいえいみぃ
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花鈴が覚えている一番最後の記憶は五年前、白い天井だった。細いチューブがたくさんついている腕、何重にも巻き付けられた包帯。全く動かせない首。呆然と虚空を見る花鈴へ、白衣を着た医者は言った。「交通事故に遭われたのです。覚えていませんか」と。
結論から言えば、花鈴は全てを失くした。自らの名前から、どういう人間だったのか。何もかもを覚えていなかった。自分の身分を証明するものを何一つ持っておらず、誰も花鈴の過去を知る者はいなかった。
けれど、彼女の足の骨がようやくくっついた頃。花鈴の元へ一人の青年が現れた。「姉さん、迎えに来るの遅れてごめん」
「姉さん?」
「…うん、そう。姉さん。貴女は俺の姉さんだよ、花鈴」
青年は自らのことを姉と呼んだ。そして自分は弟なのだと言った。それから今までの自分のことを教えてくれた。
「花鈴は何でも好きなことしていいんだ」
そう言った弟の言葉に、花鈴は一つ呟いた。
「じゃあ、好きなことを探すことから始めるわ」
花鈴には何もない。名前も、自分がなんだったのかも、なにもかもがない。ただ弟──早月が自分を「姉さん」と呼ぶそれだけが、彼女の全てである。
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