群青
南相馬市立小高中学校 小田美樹
群青
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2011.3.11 14:46 東日本大震災
東北の人々の平和な日常を突然奪ったあの日から
今日で9年が経ちました。
この曲は 福島県南相馬市立小高中学校の生徒の言葉を
小田美樹先生が作詞、作曲し信長貴富によって合唱曲として全国へ出回ることとなりました。
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ー歌詞ー (全文表示)
ああ あの町で生まれて
君と出会い
たくさんの想い抱いて
一緒に時を過ごしたね
今 旅立つ日
見える景色は違っても
遠い場所で君も同じ空
きっと見上げてるはず
「またね」と手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる君の笑顔 今でも忘れない
あの日見た夕陽 あの日見た花火
いつでも君がいたね
当たり前が 幸せと知った
自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば群青に染まる
あれから 二年の日が
僕らの中を過ぎて
三月の風に吹かれ 君を今でも思う
響け この歌声
響け 遠くまでも
あの空の彼方へも
大切な すべてに届け
涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ
僕らを待つ 群青の町で
きっと また会おう
あの町で会おう
僕らの約束は
消えはしない 群青の絆
また 会おう 群青の町で……
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引用文 群青の子ら
小高中学校のある福島県南相馬市小高区は、福点
展の真端、浜通りと呼ばれる地城にあります。福島第一原子力発電所の北、半径20km圏内に全域が入り、住民全員が今なお避難生活を送っています。
平成24年度の卒業生は東日本大震災当時の1年生でした。106名いた学年の生徒のうち2名が震災時の津波の犠牲となり、97名がその後の原発事故による避難のため、北は北海道、南は長崎まで散り散りとなりました。
4月22日にやっと市内の中学校を間借りして学校を再開したときには、学年の生徒はたったの7名となっていました。
ある日、誰がどこにいるのかを確かめながら仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていると、生徒たちは口々に「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながってるね」などの気持ちを述べました。その日から、「群費」の詩の核となる生徒たちの日々のつぶやきを綴る毎日が始まりました。
小高区は「紅梅の里」と呼ばれており、小高中学校はその紅梅の色をイメージした「エンジ色」がスクールカラーとなっています。しかし校歌に「浪群青に踊るとき」という一節があることから、文化祭は「群青祭」という名称であり、野球チームも「小高群青クラブ」と名付けられています。「群青」とは本校に関わる誰もが自分たちの色と感じている色の名前であり、私たちの絆そのものです。
「群青の子ら」は「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはずです。
そして、そう思い続けることが私がここで今日を生きる力ともなっています。いつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じています。
最後になりましたが、私たちの思いをこのように形にしてくださった本山秀毅先生、信長貴富先生、Hammony for JAPAN の皆様、そして私と本山先生をつないでくださった紅林美技さんに心から感購申し上げます。
平成25年7月18日
福島県南相馬市立小高中学校教論
小田 美樹
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