第0話: 「珈琲屋、空へ!」(完結)
秘密結社 路地裏珈琲
第0話: 「珈琲屋、空へ!」(完結)
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「父さんがあんなに念入りに光を入れてくれた、髪の毛は!?」
「切っちゃった、だって今のトレンドは軽めアンド抜け感でしょ、俺ボブが良いよ」
「じゃあ眼鏡はどうしたのさ、よく世界を見渡せるようにって!!」
「パーツが濃い俺にはちょっとくどかったんだよねぇ、丸......何、お揃い狙ってた?」
「兄さん、自分の立場に自覚を持ちなよ!なんたってそんな好き勝手なことを堂々と!?」
どこかサトウに似ていて、桁違いに良くできた造形のその男は、嫌味のかけらもなく断言する。
「自覚なら十分あるね。お前、文化財だろ。俺、国宝だから。変化を恐れずに、世を正さなきゃならない」
彼の名前は“自由を描く者”。地位と名誉を授かったからこそ、名は体現すべきだと、胸を張るフリードは、いつも通り、一切悪びれた様子もなく白い歯を覗かせて見せた。自らキャンバスを抜け出て来たという実兄に、サトウは愕然として頭を抱えるしかない。向かいのダンデが浮かべたなんとも言えない微笑みには、強く強く共感を呼ぶ色があった。やはり、兄弟の血は争えなかった。秘密結社に世直しの義賊、考える事は似たり寄ったりと言うことだ。
「反抗期だ......兄さんに、ついに反抗期が来た」
200年の時を経て訪れた、国宝絵画の反抗期。ちょっと理解が追いつかないという顔で、スズキが眉間の深いシワを指の背で押さえる中、来たる朝の気配に促されて、テーブルには着々と朝食が運ばれてくる。生きている以上、時間も空腹も待ってはくれない。まだ言いたいことは山ほどあるが、フリードが、あっという間に顔なじみになってしまった珈琲屋達と、牛乳で乾杯なんかし始めたので、後はもう野放しにしておく他に対処法はないと、サトウはあっさり諦めた。
その日の朝食は賑やかだった。若かりし頃にフリードが見守っていた、サトウと姐さんのもどかしい初恋について質問が湧いた。りんごジュースが飲みたいと言ったケネディの目の前で、白銀がリンゴを握りつぶしてジュースに変えたり、航行予定に入っている街へ、ダンデがこれまでに訪ねた時の話も大層盛り上がった。珈琲屋達の破天荒な仕事事情、茶寮が任侠者として見てきたノースセレスティアの闇の事、お互いの過ごして来た時間全てが、楽しくて仕方がない。
どれも話題に事欠かないネタであったことは間違いないが、ひとつ、ひときわ騒めいた話題があった。先日夢に現れたフリードが、サトウの唇をいきなり奪った話だ。良い年をした、顔の良い実の兄弟が、密室で顔を付き合わせるなりキスを交わすなんて、まあ正気の沙汰ではない。それは一体どういう意図だったのか?と、サトウから愚痴をこぼされていた珈琲屋が茶化した途端、フリードは急に、意味深な笑みを浮かべてダンデに一枚紙ナプキンを手渡した。一同が見守る中、彼女がさらりと折って返したのは、一羽の蝶。窓の外を見やって、遠くの水色にうっすらと浮かんだ白い月に目を細め、彼はゆっくりと手のひらに紙ナプキンの蝶を侍らせる。
「もうそろ行かなくちゃならない、最後に手品を見せてあげよう。俺とモーリィのキスに関わる大事な種明かしだ」
彼は、優しくキスをした。途端、紙が緩やかに波打って、仄かな色彩を得る。息吹いたのだ。微かに触れただけであったけれど、命は紙を肉へと変えた。みるみるうちに脈が走る羽に誰もが言葉を奪われ、サトウだけがジッとその様子を冷静に眺めている光景は、先ほどの和やかな空気と一転、神秘的で不気味さすら漂っている。羽ばたき、指先から飛び立ったそのモンシロ蝶は、緩やかに弧を描いてサトウの元へと降り立ったが、やがて直ぐに力尽き、ぱったり動かなくなった。そしてサトウがおもむろに、それに唇を重ね直したかと思ったら、蝶の羽は灰のようにサラサラと朽ち、代わりに残ったのは、僅かに芽吹いた何かの花の種だった。
ほんの数分にも満たない、あっという間の時間。手の届く僅かな空間で、二人の男が交わしたキスが、命を与え輪廻する様子を目の当たりにして、出てくる言葉なんかあるはずはなかった。
「俺のキスは、力を与える目覚めのキス。モーリィのキスは、魂が眠る時に迷わないよう導いてあげる、おやすみのキス......忘れるなよ、俺たちには世界を変える力がある。それも、きっと良い方向に」
“会えてよかった、また今度。”
国宝が大きなハートマークを描いて、ふうっと飛ばした投げキッスの先で、珈琲屋達はただ佇む。決して、呆気にとられていたわけではない事は、顔つきを見れば一目瞭然だ。きっとこれから先の旅には、とんでもない事が沢山待ち受けている。大歓声に絶叫の毎日だ。だからこそ、期待と興奮で満たされた喉で、今は静寂を味わいたい。瞳に差し込んだ大陸初の燃え盛るような朝焼けと、三人の友人の後ろ姿は、まるで世界の始まりを描いた絵画のようだった。
館内放送が、止まった時を揺り起こす。
「みんな、ごきげんよう!前方下方、目的地の街が見えて来たわ。もうじき着陸態勢に入りまぁす!」
“革命前夜”は明けた。愛おしい珈琲屋諸君の旅路に、幸運を祈る。
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第0話:珈琲屋、空へ!(完)
※ダンデちゃんの手記(不思議の動物、隠し部屋について)
〜coming soon〜
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