初めてのライブ
--
初めてのライブ
- 83
- 11
- 0
夏の日暮れ、林野 渚はひとりレッスン室にいた。冷房の効いた肌寒いくらいの室内でも栗色のショートヘアからは汗が滴り、いつも真っ直ぐに前を見つめる翠玉のような瞳はどこか曇って見えた。
身に染みるほどに幾度となく繰り返したフレーズ、ステップ。それでも渚は、納得できずにいた。
そんな渚のいるレッスン室の外、扉に貼りつく怪しい影がひとつ。彼女は不審者ではなく、渚と同じユニットメンバーの和泉 風雅だ。初めてのライブまで残り一週間を切ったが、渚はユニット3人でのレッスン後も毎日のように遅くまで自主練をしていた。そんな渚が心配でレッスン室に戻ってきたのだが、あまりに真剣な渚の表情に風雅は声をかけられずにいた。
体育座りでレッスン室の扉に背をつけ、どう声をかけるか頭を悩ませていると、隣に誰かが腰を下ろした。
「CHAO、フーガ!もう帰ったと思ってたのに、こんなところにいたんだね。」
すらっとした長身に整った顔と金髪。「王子様」の代名詞である山田 大和は同じユニットSacreAのメンバーだ。大人びてるけど、どこか無邪気さのあるそんな笑顔。女子たちが骨抜きにされるのも理解できるなぁと思いながら、風雅はその笑顔から目をそらして言った。
「大和も、渚が気になるからここに来たんでしょ。」
「まあね。最近一人で頑張りすぎてて心配だったんだ。」
「あたしも。だけど、どうやって声をかけていいか分からなくて……。」
「そこは僕に任せて。さあ、行こう。」
「え、待ってよ!あたし、心の準備がまだ……!」
「大丈夫!」
風雅は不本意ながら悪戯っぽく笑う大和の表情に流される形で、大和と一緒にレッスン室の扉をくぐった。
「CHAO、渚!毎日遅くまでお疲れ様!」
渚は驚いたようすで、振り返った。
「あれ、ヤマト、フーガ!もう帰ったのかと思ってた!」
いつもの天真爛漫な笑顔ではなく、余裕のなさと疲れが垣間見える笑顔。風雅はその笑顔を見た時、心配や不安が渦巻いて胸の奥がぎゅっとなる感じがして、大和の背中を見つめることしかできなかった。
「嘘は好きじゃないから率直に言わせてもらうよ。僕、正直いうと怒ってるんだ。」
大和の表情は確認できなかったが、大和の低い声に風雅は驚く。渚に目を向けると、怪訝そうに眉をひそめていた。
「どうして大和に怒られなきゃいけないのさ。僕は僕なりに考えてるんだよ!」
「ちゃんと聞けよ!渚が一人で暴走してることもそうだけど、無力な自分自身にも怒ってるんだ。」
静まり返った空間に、ぽたりと床に一滴落ちる音。それは汗じゃなくて、大和の涙だった。渚は予想外の言葉と涙の意味を、絡んだ紐を解いていくように思考する。大和が続けた。
「つまり僕が言いたいことは、僕たちは三人でSacreAなんだ。悩みがあるなら共有して一緒に悩みたい。渚だって、僕たちが悩んでいたらそう思うだろ?」
「……なんで大和が泣いてるの、変なの!」
そう言っていつもの無邪気な笑顔を見せた渚の頬にもあたたかい涙が滴る。真っ直ぐに気持ちをぶつけ合う二人を見て、風雅も背中を押された気がした。
「その、あたしも、渚が心配だったよ。あたしは大和みたいに上手く話せないし、何もできないけど……できることがあるならしたいし、一緒に悩むぐらいならきっとできるから。一人で悩まないで。」
「フーガごめんね、心配かけちゃったね。ヤマトも、ありがとう。」
「Your welcome!僕よりも、風雅はレッスン室の前でずっと座りこんじゃうくらい心配して……」
「ちょ、ちょっと……!それは言わないで!」
「えっ、フーガが!?可愛いんだから~!」
「もう、心配したのは本当だから良いけど……!で、渚の悩みって何だったの?」
「今度の初ライブ、歌い出しが僕でしょ。最初のフレーズできっとSacreAの第一印象が決まると思うんだ。だから――」
あんなに広くて寒い場所だと思っていたレッスン室は、三人だと狭くて、だけどとってもあたたかかい。そう思った渚だった。
BGM:口癖
脚本 :にゃう
コメント
まだコメントがありません