コメント
3件
  • そなーのユーザーアイコン
    そなー
    そうですね。僕も後悔のないように生きる様にはしていますが、それでも後悔はしないといけません。 あれをやればこうなっていた。やらなければこうなっていた。 そう思考できることは素晴らしいことです。 そしてこれが、後悔の連鎖を断ち切る力になり得ます。 そうですね。絶望の中の光を見つけられる人も確かにいます。それはとても恵まれた事ですね。 時を動かし、止めるのは自分です。 それは可能です。 周りの人間と自らを比較する。それこそが、正に自分の価値を他人の正義に委ねているということなんです。 君は君の道を歩めばいい。 そう、ですが時間は止まりません。 時間は必ず衰えをもたらし、時には傷を治めます。 時間が解決してくれることは多いです。 人間は忘却する生き物です。 故に、思考を止めることは衰退を意味します。 「心は水の如し。」 どんな疑問を持とうとも、貴方の本質を見失わないように。 一貫している思考というのは説得力のあるものかもしれませんが、幅広い視点での思考は初期はぶれやすいのです。 今はしっかりと土台を作っていけばいいです。 それだけでとても素晴らしいことですから。 こちらこそありがとうございましたo(_ _)o ペコリ
  • らんたん。のユーザーアイコン
    > そなー

    コメント、解説ありがとうです(/'')/ 考えるのは好きな方です、そんなこと、考えなくてもいいじゃん、何てことでも。 後悔はしたくないですね、ただ、後悔は解っていてするものばかりでありませんから、せめて、なるべくなら後悔の無いように在りたいものです。 結果、後悔する事になったとしても、やらずにやっておけば良かったと言うような事にはならないように。 過ちはひとつの間違いを知れる機会にもなります、それは間違った選択をひとつ排除することにも繋がります、故に間違うことによって正解にたどり着けるというのもあるのでしょうね。 絶望の縁で希望を見つけるのは確かに困難だと思いますが、それでも、その中で何かを感じ得てほしいな、と思います。 人は、と括ってはいますが、全ての人ではない、ことを祈りながら。 時間は止まってはくれません、確かに呆然と立ち止まっているのであるば考えて前に進んでほしいかな、それでも、それが考えられる状態にないのであれば、幾ばくかの休憩の後に、考えられる状態になったとき、考え、決定し、歩み始めてほしいな、と思います。 時は止まってはくれませんが、時が流れることで思考をめぐらせられる状態にまで回復することもあると思うのです。 それはまた、ケースバイケースで今回話すこととは少し、違うのかもしれませんが…。 考え過ぎれば思考の迷路に迷うこともあります、それでも迷いながらも己の正しさを見つけて欲しいですね。 己の内は己が決めるものですから。 やっぱり纏まりがないなぁ………。 あれこれ混ざっていそう。 ともあれ、今回は素敵な台本、ありがとうございました(/'')/

  • そなーのユーザーアイコン
    そなー
    良い思考ですね。 人が過去を振り返り、前を見なくなる時ってどういう時か分かりますか? 後悔した時です。後悔というのは、己の過ちを悔いること。 過去を否定し、未来に媚びることです。 人は絶望の淵にある小さな光を見つけることが出来ません。 「そこに正しさと過ちが共存している。」 というのは、振り向くなら光を探せという意味です。 「一秒ずつの未来が今も通り過ぎている。」 というのは、呆然と後ろを向いているだけなら前を向いて歩けという意味です。 そして、他人に委ねた正義。 これは幅広いメッセージ性がありますが、 要約すれば、他人の言葉など要素でしかない。 思考し、決断し、行動する。そこに君の正しさがあるんだという事です。 色々考えてくれたみたいで嬉しいです。ありがとうございますo(_ _)o ペコリ