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折り鶴(アカペラ)
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1945年8月6日8時15分。あの日のヒロシマに寄せて。 気持ちを込めて歌いました。 良かったら一緒に歌ってもらえたら嬉しいです。 🕊::::::Lyric::::::🕊 生きていてよかった それを感じたくて 広島のまちから 私は歩いてきた (苦しみをことばに 悲しみをいかりに きずついたからだで ここまで歩いてきた) この耳をふさいでも 聞こえる声がある この心閉ざしても あふれる愛がある はばたけ折り鶴 私からあなたへ はばたけ折り鶴 あなたから世界へ   🕊::::::::::::::🕊 ※()内の歌詞は尺とテンポの関係で  断腸の思いで割愛しています。 ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ 拙いですが、少しだけ8/6について書いてみました。 よろしければお付き合いください。 広島のまちに原爆が投下されてから77年の時が経ちました。この日、人に対して初めて核兵器が使われました。終戦の年の出来事だったので、今年は戦後77年でもあります。 広島出身の両親のもとに生まれた私は、幼い頃から当時の話を伝え聞く機会に恵まれました。父方、母方、それぞれに原爆で亡くなった方、被害を受けた方がいます。曽祖父母や祖父母の代のその記憶を伝えてくれたのです。当時の惨状や、そこからどのようにして生活を立て直し生きてきたか等、様々なことを話してくれました。 遠い過去の出来事のようですが、今日の私たちに至るまで地続きで繋がってきた日々のことであると思うと、辛いような、悲しような、誇らしいような不思議な気持ちになります。 今、広島はすっかり復興しています。 きれいに整備された平和記念公園を訪れ「原爆が落ちたのが公園で良かった」といった男の子がいたそうです。外国から訪れたその子は無邪気にそう言ったのだと思います。ですが、原爆が投下されたところは当時中島地区と呼ばれており、人々の営みがありました。 核の熱線を浴び、爆心地付近にいた人の中には建物の壁や階段に影だけ残して亡くなった方もいたそうです。広島市は川が多く流れていて美しいところですが、その景色は惨たらしい光景に様変わりしてしまっていたと多くの証言が残っています。 復興していく最中にも健康被害や差別・偏見で苦しんだ方が多くおられ、今でも頑張っている方もおられます。77年は長い年月ですが、当時を生きた人がまだ生きているほどには最近の出来事です。決して遠い過去の記憶では無く、済んだこととして風化させてしまってはいけないことだと思います。 ウクライナ情勢はいまだ予断を許さず、毎日胸の痛む報道があります。ウクライナに限らず、世界のいたるところで戦争は続いています。 そんな中「平和を願う」と言ってもあまりに遠大で、考えれば考えるほど不可能なことのようにも思えます。ふりかえれば人間の歴史は戦争の歴史とも言えますから。 ですが、過去を知り、個人として考える機会があれば、それぞれの心に小さな変化が生じます。その変化が、何かあった時に人と人が寄り添えるきっかけになるのではないでしょうか。 ささやかでも、そういうもので人々は理解し合って、支え合っていると思います。それこそが平和を願うということなのだと信じて、今回この歌と文章を投稿しました。 毎年この時期には寄稿等をしているのですが、今年はnanaでも多くの人に伝えることができたらと思いました。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました(◍•ᴗ•◍) 8/6 ヒロシマを思いながら。 ※当日は黙祷があるので、前日の夜に自宅でソッと録りました。 #平和を願って #折り鶴 #梅原司平 #アカペラ #コラボ歓迎 #戦争反対 #拍手大歓迎 #nana民と繋がりたい #コメント嬉しい #硝子garaco

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