nana

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声劇台本第53弾です。 別アプリにお題として投稿したもので、 吸血鬼専門の殺し屋である、とある聖職者の台詞です。 敬虔ゆえに、その情熱故に何かがズレていくというのはよくあることかと。 「私」の性別は自由です。 一人称の変更などもご自由にどうぞ。 Nagomi EM(Nagonyan)さまの素敵なサウンド → https://nana-music.com/sounds/04b99d49 <注意点> ・できる限りたくさんの人に見て頂きたいので、キャ プション画面への台本のコピペはお控え下さい。 ・拍手やコメを頂けますととても喜びますし、 ゆっくりではありますが聴きに伺います。 ・コラボの際はサウンド作者さまの方にも、拍手・ コメントを宜しくお願い致します。 <特記事項> 性別変更/ 〇 一人称・二人称の変更/ 〇 アドリブ/ 世界観を壊すものでなければ〇 -------------以下台本-------------- 私は神を愛している。 それはもう気が狂いそうなほどにな。 愛して、愛して、その御手(みて)に触れるために欲を断ち、祈り、己に鞭を打ち生きてきた。 苦しみと驚きの連続――果ての見えぬ毎日だ。 ……だが、私はいつしかその永遠の道程(どうてい)にこそ愉悦を感じていることに気付いた。 嗚呼しかしそれは、聖職者にあるまじき、おぞましき感情だ。 だからこそ、その罪はそそがねばならぬ。 そう、貴様ら吸血鬼の命でな。 私は神を愛している。 その御業(みわざ)により生まれた存在も、 それ故に生まれる生命の奪い合いの円環も遍(あまね)く愛している。 しかし貴様らは、その円環から外れた存在。 奪うのみの異端、異物。 ならば私が、貴様らをその円環に組み込んでやろう。 神に愛されよ。 そして私の罪をそそぎ、神のもとへと導いてくれ。 Amen.(アーメン/エイメン) -------------Fin-------------- その信仰は、果たして神に届くのか。 #フリシナ #声劇 #朗読 #ジパ本 #声劇台本 #一人声劇 #コラボ歓迎 #コラボ募集中

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