
【体験談】かつて、そこにいた親友②
書き手:Rion
R君のお家は3人家族で、みんな仲が良くて。 とても幸せそうに見えた。 わたしにはそれがとても眩しかった…けど、不思議と妬ましさなどはなかった。R君のご家族は私の家庭状況を察してくれていたのか、よく家に招いてくれた。彼のお母さんのつくるキュッシュがとても美味しくてさ、わたしはなんどもおかわりした笑 R君の家は、とても居心地のよい暖かな空間だった。 わたしは、人格の障害についてもR君に打ち明けた。でも彼はいつも通りに淡々と「まあ人間、そういうこともあるよね〜」って言ってた。なんだそれ。普通そんな軽々と受け止められる話なんだろうか? でもね、その理由はやがて分かったの。 R君自身も、わたしと同じ症状を抱えていたんだ。 人格交代。R君も、それを持っていた。わたしと違うのは、彼は自分の中の人格と話し合って折り合いをつけて、「今は誰が表に出るか」というのを自分で決めることが出来ていた。 似たような心の闇を持つわたしたちは、本当に何もかも打ち明けて話せる存在になっていた。当時のわたしにとっては、唯一の救いで、唯一の友達で、唯一の親友だった。 …そんなある日。 R君のお父さんが倒れた。 脳梗塞だった。 すぐに病院で手術したけど…後遺症が残ってしまって。術後のR君のお父さんは「たぶん、一生松葉杖は必要になるだろうなあ」って杖を振りながら、なぜか気丈に振舞っていた。わたしに心配を掛けたくなかっただけ…かもしれない。けど、R君のご家族は、なにか不思議なオーラを持っている人たちだなと感じていた。 そして、その予感は的中していた。 R君のご家族は元々、沖縄の「ユタ」という霊能力者の家系なのだと、後にR君本人から聞いた。だからなのだろうか。R君たちは、自分たちの運命とか、人生や心の世界に対して、妙に達観している所があった。 そうしてずっと交流は続いた。高校1年〜大学3年生まで、長い時間を共にすごした。たくさんの事を共有してきた。たくさんの悩みを話したし、彼はいつもその問いに淡々と答えてくれてた。わたしはそんな日常が、これからもずっと続くんだと思ってた。 だけど…何時の頃からだろう。 R君は、ぱたり。と消えた。 最初は連絡が取れないことに、さほど違和感を感じていなかった。何せ彼はいつもフラフラしている人で、自由に生きてる人で。今は忙しい時期なのかな?くらいにしか捉えていなかった。 でも、1週間、1ヶ月、半年…そして、1年。 全く、連絡は取れなくなっていた。 訳が分からなかった。また何か良くないことが起こった…? わたしは心配で仕方なくて、彼の家を訪ねたの。 そこは、 すでに空き家になっていた。 思い当たる知り合いや吹奏楽部時代の友達に片っ端から連絡をとって、彼の消息について何か知らないか訊ねたんだ。 でも誰も、R君の行方に心当たりのある人はいなかった。 そもそも高校卒業後に彼と交流があった友人は、ほぼわたしだけだったみたい。そんなわたしでも分からないことが、この数年R君と交流のなかった友人たちが知るはずもなかったのよね。 いまも、居なくなってしまった理由は分からない。 でもこのことを思い出すたび、心に冷たい風が吹く。 それから現在に至るまで、連絡は取れていないんだ。 わたしはいつのまにか、大切な親友を失っていた。 …実はほんの少しだけ、思い当たることがあるのよ。 彼は何時だったか「沖縄かあ、いつか帰ることもあるのかなあ」と何気無く言っていたことがあった。 だから…もしかしたら、いまは沖縄にいるのかもしれない。 いずれにせよ、もうわたしは彼と話す機会を失ってしまった。 いまも時々、R君に電話をかけている。コール音はするけど、出ることはない。きっと、今後も、ずっと。 …何の話だったかというと、 大切な人がいてくれることが「あたりまえの日常」になったとしても、その日常が突然失われてしまうこともあるってことを伝えたかったんだ。 だから。だからこそ。 大切な人との日々を、大切に生きなきゃいけないと思うの。 当たり前にいてくれる存在が、実は当たり前なんかじゃなくて。そういう人に出会えたこと自体が奇跡みたいなものなんだと思う。 この文章を読んでいる人の中に「大切な人」がいたら、どうかその人との時間を大切にして欲しいなと思って、この文章を綴りました。 最後まで読んでくれて、ありがとうございます…! これでわたしの「かつて、そこにいた親友の話」は終わりです。わたしの体験談が、青春の思い出が、誰かの心の共感となり、癒しとなり、誰かの気づきになってくれたら嬉しいです。 あなたとあなたの大切な人が、今日も笑顔で過ごせますように❕💞 BGM/haruki:心 #BGM #nana民と繋がりたい #モノローグ #雑談 #piano #Rionの体験談
