nana

【体験談】わたしの後輩の話②
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…それから何年がたっただろう。 本当に突然だった。 その後輩から、Facebookで連絡が来てさ。 「先輩!一緒に楽器の練習、しませんか?」って。 それで私、彼女と近所の橋の下で待ち合わせてさ。 …ああ、なんでそんな場所なのかっていうのは、夜に外で楽器の練習をする場所といえば橋の下ってのが定番だったのよ。近所に音が漏れにくいからね。 そして私は数年ぶりに、彼女にあった。 でも私は一瞬、その子が後輩なのかが分からなかった。 バイクでやって来た彼女は、見た目というか、ファッションや髪型が、すごく男性的になっていたの。 それで、後輩は言ったんだ。 「男性として生きていくことにしたんだ」って。 そして今は親元を離れて一人暮らししてるんだって。 なんだか、晴れやかな顔をしてたのを鮮明に覚えてる。 それから一緒に楽器の練習をして、また会おうねってお別れをして…それからは、もう会うことも、連絡を取ることもなかった。 なぜあの時、後輩は私に会おうとしてくれたんだろう。 もしかしたら、文化祭の日…彼女は自分のコンプレックスを私にうちあけてくれた時、後悔したのかもしれない。彼女は、優しい子だったから。私を困惑させてしまったことに、負い目を感じたのかもしれない。 そしていつか、後輩がそのコンプレックスと向き合えた時、もういちど私に会うことで、過去の遺恨を残さないようにしてくれたのかもしれない。 私には、LGBTQやトランスジェンダーに対する偏見はない。差別は嫌いだし、価値観の違いで一方的に誰かを拒絶するのも好きじゃない。人が人を好きになる気持ちに、性別を理由に壁が作られるのは悲しいことだと思う。 いまの私が文化祭の日に戻れたら、少しは気の利いた事が言えたのかな。後輩の悩みに、寄り添えたのかな… だけど、当時の私はどうしようもなく子供で。 上手く助言してあげられるほどの知識もなくて。 いまはね、人間は時間と共に経験を増やして、たくさんの人達と話して、だんだんと視野が広くなっていくものなんだって感じるの。そして文化祭の日にちゃんと向き合えなかった「子供だった私」のために後輩が再び会いに来てくれたことで、心にずっと残っていたわだかまりが溶けたような気がする… ううん。きっと後輩は、そのために会いに来てくれたのだろうな。 人間ってどこまでも無知で、無理解で、せいぜい私たちに出来ることは「分かろうとしてあげること」くらいのもので。そしてその「理解してあげられるキャパシティー」って、年齢とともに、経験と共に増えていくものなんだなって最近感じるんだ。 何が言いたいかって言うとさ。 たとえ「いま解決出来ないこと」でも、 その後数年の経験や学びによって、ようやく「気の利いた事が言えるようになる」ってこともあるのよね。 私は橋の下で後輩とお別れする時、文化祭の時には言えなかった「少しは気の利いた言葉」を、数年越しに言えたんだ。 「君がどんな人生を選択しても、わたしはこれからも君の味方だよ」って。 後輩は「うん。先輩、会ってくれてありがとう!」といって、バイクにまたがって去っていった。 人が人を理解するのって、簡単じゃない。 時には時間が経って、初めて理解できることもある。 だからこそ、傲慢になっちゃいけないのだろうな。 「分かった気になる」というのは、相手の心に寄り添えてないことだから。 「分かろうとし続けること」で、ようやく少し理解してあげられることもあるし、それは人生経験を増やさないと出来ない事なんだって、後輩から教わった気がしました。 …というわけで、今回の話はこれでおしまいです! 前より長文になってしまってすみません。。 最後まで読んで頂き、ありがとうございました!✨ あなたとあなたの大切な人が、どうか笑顔でいられますように…! BGM/DAYS of DASH piano #さくら荘のペットな彼女 #鈴木このみ #BGM #nana民と繋がりたい #モノローグ #雑談 #piano #Rionの体験談

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