
感電 / (彩の助)
米津玄師 / (秘密結社 路地裏珈琲)
〜第5話 ライバル編8 「バベルの救済」〜 サッカーボールだって、ここまで熱心に蹴られやしないんじゃないかと思う。 酸素も足りない、涙も足りない、逃げる元気はすっからかん。 混濁した意識の中で、悼が最後の一呼吸をどう使おうか迷っていたら、バニラが香る煙に乗って、部屋をマットな質感の口笛が吹き抜けた。 「読めた。あんたはやり場のない癇癪から誰かに救われたい、縋りつかれた悼ちゃんは、その毒が抜ければ彼女が救われると信じてる......なるほどなるほど、君たちのその歪な関係。共依存のお手本だね、すっごい歌書けそう」 大きめのモッズコートに身を包んだ影が、フードの下でパタタと手を叩くと、燃えかけの灰が手元からキラキラ散って、不健康にぼんやり燻った。どうぞどうぞお構いなく!と続きを促す仕草は、完全にサヤを煽っていて、悼の背筋に戦慄が走る。 悼は彼女のことをよく知っていた。時折店に遊びに来る、ギター弾きの女の子。名前は確か、彩の助。まさかと言わず、彼女は二人が無言の対話に没入している間、ずっと入り口でその様子を眺めていたはずだ。今更、サヤの容赦を知らない圧倒的な暴力を自ら引き寄せるなんて、どうかしている。 彩の助が指を一本立てて、一歩進み出た。 「当ててみせるよ、君は今思ってるはずだ。私は見ず知らずのガキに甘えるような女じゃない、救われるのは平和ボケから目を覚ますこいつの方だ、ってね......」 「分かってんなら口閉じな」 凄まれて、まあまあと両手で自分の手前をふかふかしてみせ、もう一歩。 「あ〜ん、勘違いしてもらっちゃ困るな、これは同情じゃなく共感ね。サヤ、僕も色々あったから、あんたの気持ちは結構わかる。サトウさんは、ありゃダメだわ。間違いなく、一回何処かでお灸を据えた方がいい男だ」 雲行きの怪しい会話に悼の寒気は増す一方だが、おとなしくしていれば、おそらくこの場は一旦ことなきを得るだろう。呼吸を整える時間を稼いでくれているのか、それとも本当に、この火事場で足元を掬いに乗り出したのか......定かではない彩の助のニヒルな微笑みに、サヤがフラフラ寄ってゆく。 歳は悼と近いはずなのに、彩の助が慣れた調子でタバコを踏みにじって消す仕草が、なんだかとても大人に感じて気が引けた。 「珈琲屋には、よく出入りしてる。なんでも聞いて、僕のバイト先は、そういうビジネスのお店なの」 「すごい訪問販売スタイルじゃん。でも嫌いじゃないよ、あんたみたいな道徳切り捨てて金勘定できる人間。いくら?」 「......お前はどうしたい」 「値段は言い値でって、言ったつもりだけど」 彩の助の目は、真っ直ぐサヤを見つめたまま。 サヤも彼女に正面から呼びかけ、二言はないと目で射抜く。 しかし彩の助は物足りなそうに、語気を強めて繰り返す。 「お前は、どうしたい?」 ずっと恐怖に震えて沈黙を貫いていた悼の指先が、ガリ、と砂っぽい床を掻く音がして、その言葉にようやく返事を返した。 答えは言葉で求められているんじゃない。態度で示せと問われている。 満身創痍でわあっと足元にしがみついて、サヤの健脚をがっしと封じた悼に、サヤは勿論戸惑いを隠せなかった。受け身の自己犠牲で、ある意味自分の思い通りだった悼から、ここにきて初めて、明確に彼女自身の意思を向けられたのだ。 悼の強引なのに震える腕が、“もうやめろ“と言っていた。 まだ拳がある。即座に殴って引き剥がせば勝機はあったが、一瞬の迷いから心が戻ってきた時には既に、首筋へ彩の助の怖いくらい冷たい指先が到達していた。 「あ“あ“あ“!!」 ジッという音と一緒に、青い火花が散って、袖の中に絡みながら伸びる細いコードが浮かび上がる。仕込まれていた小さな端子を、拳銃の硝煙でも吹き消すみたいにふーっと吹いて見せ、彩の助は悼を抱えるなり、半分引きずりながら一目散に逃げ出した。 「ごめん、今日はこっちの味方!サトウさんシメる時は、また呼んで!」 気分次第だけどと付け加え、屈託なく笑い出したこの顔こそ、いつもカウンターで見るギター弾きの素顔だった。 「いいかい、気をしっかり持って!こっからまた決死の追いかけっこだから」 「......ありがとう、疑ってごめん」 「あれは、嘘じゃないよ」 「えっ」 「僕、どっちに付くかは後で決めようと思って現場に入ったから」 「......。」 「でも、本気の君を見れたら、君に付くことになるなぁとは思ってた」 彼女は、ギター弾きの唄歌い、或いは鏡。 覗き込んだ人間に問いかけて、真実を炙り出す、写鏡。 「ちょッと、そろそろ腰抜けたの治ってきた!?あんまり運動得意じゃないから、こっからは自分であんよして!」 何処かで聞いたことのある洒落たポップスを口ずさみながら、ほれきた!と追っ手に湧く無邪気さと、自らの本心を引き摺り出して暴いたあの一言。 記憶の間で揺れて、悼はごくりと喉を鳴らした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 言葉巧みに、嘘と誠を操る危険な唄い手、彩の助。 “つくかどうかは、君の心意気次第“ 続
