
朔間椿の独白②
過去
家のことを自分一人でするというのはまあ、慣れてはいたさ 父親が出ていく前から少しずつ俺の仕事になっていたから それでも誰かが家に居るのと居ないのとじゃ気持ちが違うんだよね 孤独だった ほんとうに孤独だった 学校にもあまり仲良いい友達もいなかったし 休日に遊びに行くことも無い テレビもあの日以来つけることが無くなった 学校にはちゃんと通っていたよ 無断で休んだりしたら両親、いや元両親に連絡がいってしまうし それだけは避けたかったから 月に2度通帳にお金が振り込まれていた ひとつは父親から、もうひとつは母親から どちらもかなりの金額だったから生活には困らなかった 中学に上がる頃には友達なんて居なくなっていた 「あの家の子は親がいないから遊んじゃダメ」 とか 「あの子可哀想」 とか 同情とも侮蔑とも取れることを他の子の親から言われ続けた 子供ってさ結構そういうの聞いてんのよ いつしか俺は居ない存在として扱われるようになった 最初の頃は腫れ物に触る〜みたいな感じだったんだけど 成長するにつれて気を遣うことすらなくなったというかなんというか 俺の影のあだ名は幽霊くん 黒髪なのに外国人の父親の影響で目の色素が薄く、光に当たると黄色に見えることも不気味さを醸し出していたのかもしれない 幽霊くんに話しかけなんかしたら、何を言われるか分からないからって 少なかった友達もみーんな離れていったよ 決していじめられていた訳じゃないと思う ただ、そもそも《そこ》に居ないものだと そう思われていただけ 中学も学区が同じだからさ ほとんどが同じ小学校の生徒 結果は目に見えてるでしょう? だから俺は3年間ひっそりと目立たないように息を殺して過ごしたよ 修学旅行も行かなかった と言うより行けなかった お金はあったさ、でも親がいないから諦めた いや、それは言い訳に過ぎないな 行ってもいない存在なら行く意味が無いと思ってたんだ 卒業まで1人も友達は出来なかった いや、作らなかった 今思えばまだいじめられる方がマシだったのかもしれない 自分の存在を認めてもらえるだけ、いじめの方がマシだったのかもしれない だけどあの頃の俺は全てがどうでも良くなっていたから 全て俺が悪いんだ そう思っていたから 高校は地元のやつが一人もいないところを選んだ 地元から少し離れた所にあった全寮制の男子校 偏差値はかなり高かったけど あの家にひとりで居ることに耐えられなかったから 必死に勉強してなんとか合格をした 高校にいる間の家の管理は 唯一俺の事を心配してくれた母方の祖父母にお願いした 2人はとても心配してくれたけど、俺が行きたいところならと最後には送り出してくれた 中学を卒業してからの数日間で俺はイメチェンをすることに決めた まず自分の目に合うように髪の毛を染めたし 笑顔の練習もした 偏差値が高い代わりに緩い校則の学校だったから 説明会の時に見たのは真っ赤な髪の毛がいるってこと それならこの髪色もさすがに許されるよね ミルクティーみたいなこの髪色も さすがに祖父母には驚かれたけど 似合うって言って貰えて嬉しかった 喋り方も明るくて緩いのをイメージして喋るようにした これは中学の頃の、所謂カースト上位組の人気な男の子の喋り方を真似しただけ きっとそういう人が好かれるんだなと 3年間観察した賜物だよ 笑顔と喋り方が板に着いた頃には 俺の性格も卑屈な性格から、自然と明るい性格に変わっていった そして訪れる高校入学の日 俺は胸を張って敷地内に足を踏み入れた つづく
