
「恋予報: ケネディ 後編」
秘密結社 路地裏珈琲
どうしていいか分からないけれど、じっとしていることも出来なくて、乱れた呼吸で周りをウロウロするしかなかった。ゆっくりと細く吐息を零すだけで、返事をしないテディに、焦燥感だけがつのってゆく。スマホゲームで体力のゲージがジワジワと減っていくのを見ているような、時間が迫っていることだけはよくわかるその姿は、とてつもない絶望だった。 なんとなく、分かってはいた。あの少女の話をした日に、彼が教えてくれたのだ、祖父母の土地で起きた誘拐事件は、吸血鬼信仰者と、聖職者の間で起きた争いの一角だったとか、吸血鬼狩りと、あの土地に眠る民間伝承のこと。それはそれは事細かに、ケネディが何か悪いことをしたわけじゃなかったんだと否定する為に、夢中になった彼は時折、不自然な一人称を交えてその話をしてくれた。蝙蝠の姿が、彼女の中にあった仮説を裏付けようとは、夢にも思わなかったけれど。 とりあえず、今朝食事と一緒に持ってこられた瓶入りの水を差し出そう。いや、こんな状態じゃ飲めない。抱き起こすか?危険だ。じゃあどうすれば?つる、と。パニックで腕から先が小刻みに震え、伝った冷や汗で滑り落ちた瓶。カシャン、と。薄ガラスが落ちた音。それを追って伸びた指から、鮮血が散って細かな水玉を描いた。 「......ケネディ、お願い」 「テディ」 「指を貸して」 他に選択肢など何もない。どうなるか分からない恐怖なんか捨てて、彼女が選んだのは彼だった。導かれるまま、美しい珊瑚色の唇をこじ開けて、真っ赤に染まった指で口内を掻き回せばいいのなら、そんな安い事ないだろう。なんでこんな、出会ったばかりの男にって、冷静に考えたらおかしな話かもしれない。フルネームも、年齢も、好きな食べ物も、癖も、何も知らない。ただ分かっているのは、彼の子供みたいな体温は言葉より優しくて、彼はキザで優しい男だということだけ。そして、今彼女を突き動かしているこの感情を見送ってしまったら、おそらくこの先とても後悔する事になるということ。 もっと知りたいのだ。恋とは、そういうものなのだ。 冷たい床の上、血の味で少しだけ目覚めた彼に、マウントを取った。困惑して情けなく下がった綺麗な眉をそっと撫で、そのまま捕まえた頭蓋骨を強く握ったら、獣みたいにキスをした。一度、二度、それで最後に、猫がミルクでも飲むみたいな優しいキスをあげて、ケネディは自分を奮い立たせ口の端っこを釣り上げる。 「ソーリー、指なんか要求するから、その気になっちゃった...責任取れるくらいの体力はあるんデショ?」 「ケネディ、ありがとう、でも...俺は、君にこれ以上...!!」 食欲を唆るためなら、なんだってしようと思った。ここだけは特別だからと、あれだけイトウにも入墨を入れさせなかった、髪の下から覗く白い首筋で。桜が咲き誇る、デコルテで。噛み付かせさえすれば、彼の我慢をぶち壊す自信はあるのだから。 「こないの?」 そして、耳元にキツく叱り付けるように告げた、“イクジナシ”の一言で、世界がグルンとひっくり返った。眉を寄せて呼吸を荒げる、彼の愛おしくて醜いその顔越しに、天井の切れかけた蛍光灯が点滅している。そう、それでいい。覆いかぶさるなり、首元に喰らい付いてきた彼の後ろ頭を、優しくやさしく撫でながら、彼女はそれっきり。痛みに耐えて、時計の針が回るのをじっと数えた。本能に抗えず、嗚咽に近い苦悶の声と、血で喉を鳴らす彼の腕に、ほんの少しの情欲を感じながら。 どれくらい時間が経っただろう。朦朧とする意識の中、誰かに負われて心地よい揺れに身を任せている事に気がついた。夢の中の彼女は、月夜のテラスでテディと寄り添って、微温い春の風に当たっている。兄弟みたいな、お揃いの色した髪が絡むほど、頬をすり寄せ笑い合う。 「俺、もうそろそろ行かなくっちゃ。こんな所でも、君と居られるとなれば、離れ難い気持ちになるもんだね」 「テディは、どこへ帰るの?もう、逢えない?」 「故郷さ。今更隠しはしないよ、見ただろ?俺の姿」 「見た、可愛かった」 声は、夢にしては鮮明で、手を伸ばせばすぐそこの彼を引き止められる気すらした。 「ねえ、俺のお姫様になって欲しいって言ったら、ケネディは困る?」 「困らないけど......わたし、お姫様じゃなかった...」 「血統なんかじゃないよ、ケネディ。例えルールを変えたって、俺が君をお姫様にするさ」 考えておいて、と囁いた最後の台詞を見送って、彼女は嗅ぎ慣れた香の匂いがする、薄い背中に引き渡され、今度こそ、久方ぶりの深い深い眠りに落ちてゆく。軍服に乗馬鞭の、細身な男が、ケネディを背負ったイトウの隣で敬礼していた。 「この度は大変なご無理を申し上げ、辻斬りさまが一角、夜桜ノ君の救出に御助力いただきましたこと、心の底より深く御礼申し上げる......後は、イトウと私で後片付けを致しますが故、貴君は外務省ナンバーでお逃げになりますよう。裏手に用意してございます」 「とんでもないよ、キキョウさん。俺たちの利害の一致は、幸運だった。あー、でも」 「何か」 「もし感謝してくれるんなら......御褒美にこれだけ、許してくれない?」 ちなみに、飛空挺で目が覚めたケネディは、その場でもう一回ベッドにこもってしばらく出てこなかったという。キキョウが溜息と共に渋々受け取った、羊皮紙のメモには、彼が万年筆がわりに爪で走らせた、ボルドーブラックの筆跡でこう書いてあったのだ。 “今度映画でも見よう。俺んちのソファ、ふかふかだから安心して” 示されたその住所が導く先、そこに彼女からの返事が届くかどうかは、この話が事細かに語られる女子会の後、明らかになるだろう。 ーーーーーーーー End ※ Yes or No ! テディと恋に落ちるかどうか、どうぞラブレターのお返事がわりに一曲ご提出下さい。 コメント欄にどうぞ☕️
