「サトウと呼ばれていた男」
秘密結社 路地裏珈琲
「サトウと呼ばれていた男」
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路地裏珈琲に死に物狂いで駆け帰り、スズキに半狂乱で事の成り行きを伝えたら、スズキは最初こそ慌てたものの、大きく目を見開いて黙りこんでしまった。
そしてただ、そうか、と呟いて、こう付け加えた。
「.......他所で話すな。茶寮にも、街の連中にもだ。どのみちサトウさんは、もう戻ってこない」
なんて冷たい物言いだと反論して掴みかかった腕を、スズキは拒まなかった。
数日経って、今度は何の心変わりか、スズキの方から店に呼び出しがあった。
「...知りたかったら、行くといい。話はそれからだ」
“そこに全ての真実が有る”
そう言って渡されたのは、件の博物館の特別展示に入場するためのチケット。なんだってこんな時に芸術鑑賞なんかって、ちらほら食ってかかったメンバーもいたけれど、誰もが今は、数少ないサトウさんへの手掛かりを拾い集めるしかない。
それに、あまり張り詰め過ぎたっていいことなんかありゃしないって、心のどこかで彼が言っているような気がしたのだ。飄々とした胡散臭い笑顔は、本当にどこへ行ってしまったのだろう。
すっかり冷え込んだ空気に、思い思いのコートと帽子で身を包み、冬支度を終えた珈琲屋が揃って石畳の街をゆく。博物館はごった返していて、とてもじゃないけどあの招待券が無ければ当日券なんか並ぶ気にはなれない盛況だった。
「これ、何が展示されてるんだっけ」
「著名な宗教画家が残した、戦後の民衆を慰めるために描かれた、教会の壁画だってきいたけど」
「20年ぶりの公開って、さっき入り口でおばちゃんが騒いでた」
長い長い階段を越えて、エレベーターを乗り継いで、塔の上、最上階だと今まで思っていた展望室のその上に、絵は飾られていた。
全員が、扉の向こうに足を踏み入れた瞬間、絶句した。
「......ちょっと、理解が追いつかない」
みんな知っていたのだ、ずっと前からその絵の事を。
見飽きるほどによく見たその絵は、重厚なガラス壁の中、これ以上ないほど丁重に祭り上げられ、柔らかなライトを浴びて佇んでいる。
曇天を割って降り注ぐ天使の梯子の下、静かに祈りを捧げて骸骨と瓦礫の山に立つ、一人の美青年。薄汚く汚れ荒んだ風景の中で、混じり気のない純白の衣を身に纏い、彼は瞼の裏で何を願うのだろう。
その絵の題名は、“幸せを祈る青年“またの名を、memento mori、あなたの死を覚えなさい。
そこに描いてある青年の顔は、あのちょっとだらしない癖毛や、怪しい丸眼鏡、伸びきったヒゲの全てを取っ払ったありのままの彼で間違いない。
「サトウ、さん?」
「......そういうこと。彼はあるべき場所に返された、ここが、彼の本当の居場所だった」
隣のトレンチコートが囁いて、ようやくそれがイチロウだと気がついた時、誰かが膝を着きざわめく音がした。
明かされた真実を前に、君たちは...
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珈琲屋でスズキさんが待っています。
彼ももう、話す決意を固めたようです。
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