
青の時間
浜田省吾
おはようございます。 今日は歌えない感じなので、本来は今日歌いたい曲……先日アップしたのを再投稿しちゃいます。 •*¨*•.¸¸☆*・゚ 浜田省吾兄さんの曲に、「青の時間」というのがあります。 携帯電話が今ほど普及する前のお話。 渋滞の中、彼女との約束の時刻に間に合わず、ひとり高速道路の上、別れを覚悟する男。 夕焼けの赤から次第に青く染まる空。 幾重もの色。 その「青の時間」。 ON THE ROAD 2001ツアー、広島は国営備北丘陵公園での野外ライブにて、戦没された方々への黙祷の後に演奏されました。 下記、その黙祷の前に省吾兄さんが話されたこと。 ---------- ほらあそこ、空が見えるよ、青空が。 こっちはもっと大きいよ。 いいね♪ 今日は8月の7日です。 えー、昨日はまあ広島の、8月6日原爆記念日だったのはみんなもちろんよく知ってると思うんですが、 8月7日ってことは8月9日の、長崎の原爆記念日のちょうど間に挟まってるんで、 えー、なんか… もし、その気があったら、 みんなで一緒に、原爆の被災者の人と、 戦争で亡くなられた方のために、 黙祷をしませんか? そして、 二度とね、原子爆弾が、核兵器が炸裂することがないように、 そして、こうやって今日すごい楽しいね、1日を迎えられることを感謝する気持ちで黙祷したいと思います。 じゃあ、お願いします、黙祷。 ---------- 「約束の場所で待ち疲れ、俺が来ないことを答えだと決めて去る人」 「こんなふうに愛した人を失う」 大切な人と離れることを余儀なくされるという戦禍を被った多くの人たちを歌った曲だと理解できます。 この曲が発表された時期、兄さんはこれから何を歌うべきなのかと思い悩んでいたそうで、その頃の気持ちが表れているように思えます。 そんなことを考えながら広島を訪れたのは2年前。 まず、竹原市。 兄さんの生家。 静かに佇んでいました。 いつ取り壊されてもおかしくない状態と思いますが、前回訪問時には無かった足あと帳があったりして、まだしばらくはここにあってくれるだろうと思えます。 呉市、同級生のお姉さまが店主の喫茶店サントス。 オムカレーライスを頂きました。 会計時に店主さんと少し話すことができました。 店主さんの弟さんが省吾兄さんと同級で、「よくうちに来てた」とのことです。 常連さんと思しき方々がカウンターにおられ、 「どっから来たの?大阪、あらまー遠くから!」 「大阪はまだ近い方よ。北海道から来る人だっている」 「へーーファンってのぁすごいわねー」 「今からどこ行くの?呉三津田(出身高校)?」 などなど。 広島市へ移動し、広島城と原爆ドームを訪れました。 広島城二の丸前に、被爆したユーカリがいたのが印象的です。 原爆ドーム。 この建物は生き物のように思えます。 周囲の空気とは違うものに包まれているような感じ。 ただただ見入ってしまいます。 残骸となった建物そのものから受ける衝撃と同等に、周りに落ちているとても大きなコンクリート片がその瞬間の光景を思わせます。 夜は、兄さんが出前を頼むことがあるという噂のお店でお好み焼きを頂きました。 翌朝、宮島を訪れるであろう多くの車に紛れて僕が向かったのは、大竹市。 溶けたタール、パルプの匂いのDaddy's town。 昔のように急いで迎えに行く真夜中のドライブイン。 かもしれない場所。 浜田省吾さんは、曲の詳細を語ることは基本的になく、想像するのみです。 その想像ドライブインで、朝っぱらからチキンカツ。 旅は、非日常の極みか。 発散するためのものか。 そうではなく正反対で、 日常や身近な人やモノを見つめるその目ん玉を澄んだものにするためのものではないかな。 日常へと戻るにあたり、 自分の境遇、そばにいてくれる身近な人たちへの感謝へと帰着すべきであり、それが本当に辿り着くべき事柄ではないのか。 旅路での人との触れ合いを大切に。 それが身近な人を想う自分へと繋がらんことを、と願います。 思いやりと自己救済は同義だと理解しつつ、戦没者の方々を思いながら、本来やるべきことを見つめたいです。 終戦の日に思うことは、戦争の悲惨さとそれを繰り返さないこと。 だけではなく、自分がどう生きるのかを考える日であり、それは8月15日にだけ考えることではなく日常いつも考えるべき事柄だと思い至るべき日だと思います。 日々の「青の時間」を、感謝の思いを持って迎えられるよう。 青の時間(cover) https://youtu.be/WF7awIZtutI #アキ浜田省吾
