
日はまた昇る
浜田省吾
【日はまた昇る】 《歌詞》 海鳴りの聞こえる丘で 青空を見上げて思う この旅の途上で 愛した人の懐かしい面影を 今日まで何度も厄介なことに 見舞われてきたけれど 今もこうして暮らしてる これからも生きてゆけるさ 夕日が空を染めてゆく 明日の朝も日はまた昇る おれがここにいる限り おれがそこにいようといまいと 激しい河の流れを 静かに見つめて 闇の向こうに何があるのか 誰ひとりわからない わからぬことをわずらうよりも 今日この時を生きていたい 河を渡り 谷間をぬって 頂きを越えて 長い旅路の色んな場所で 数えきれぬ人に出会う 誰もが皆 自分の人生と闘っている 荒野にひとり 君は立ってる 行く道はいくつもある だけど たどりつくべき場所は きっと ただひとつだけ どの道を歩いて行こうと 君は君のその人生を 受け入れて楽しむ他ない 最後には笑えるように •*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚•*¨*•.¸¸☆*・゚ 今日、大きな地震がありました。 じわじわと被害の報道は増えており、悲しいです。 早く収まりますように。 自分の体験や想いを記してみます。 今年で阪神・淡路大震災から23年。 当時21歳の僕。 住んでいた場所は兵庫県西宮市、阪急電鉄甲陽線の甲陽園と苦楽園口の間あたり。 「甲陽断層」と呼ばれる断層付近にあり、揺れが激しかったらしく、震度7に達していた可能性があると、後になって聞いたことがあります。 とにかく激しく揺れました。 まず照明が落ち、家具は全て倒れ、闇の中での長い揺れ。4日前に生まれて初めてライブハウスで歌って、そこでもらった花を挿していた花瓶が割れる音。 立つことも這うことも出来なかったのをよく覚えています。 幸運にも怪我はなく、ほどなく電力供給は再開され、夜も明け、破壊されたものたちをはっきりと目にして。 これはいったいなんだ??? 僕の脳はその光景への反応の仕方を知らず、呆然とすることすら出来ないような、そんな心持ちでした。 至る所に様々な匂いが漂い、外に出て見渡せば信号機は全て消灯。 遠くに煙のようなものが見えました。 公衆電話の受話器からはノイズしか聞こえず、携帯電話などと言う文明の利器を所有する前のことなのでどこにも連絡出来ず。 住んでいたワンルームマンション、2軒隣の部屋が水浸しになっていて、玄関から水がどんどん溢れていました。 その部屋の住人さんが困惑して助けを求めて来られました。 壁の中、どこかで水道管が破れたと思われ。 それまで会ったことのなかった方、顔見知りだけど声をかけたこともなかった方、瞬時に団結し、手分けしてマンション自体の水道の元栓を探して閉めました。 僕が住んでいたところでは、僕の目にはそれ以上のトラブルは見られず、被災地域の中では被害の小さいところでありました。 ほどなく、数人の友人が訪ねてきてくれました。 そのうちのひとりは、赤いスウェットの上下にハンテン姿、極寒の中、靴下なしのサンダル履きという姿で現れました。 倒壊した2階建家屋の1階から救出され奇跡の生還を果たし、そのままバイクでうちの様子を見にきてくれたのでした。 過去大きな天災・人災があり、今日もあり、命や築いてきたものが失われることに悲しみと恐怖を覚えます。 同時に、時に厄介なことに見舞われながらも、今もこうして暮らしている自分の僥倖を知り、それを享受せねばならぬと思うのであります。 今日まで何度も 厄介なことに見舞われてきたけれど 今もこうして暮らしてる これからも生きてゆけるさ 上述のライブには叔母が来てくれまして、数日後に僕が震災に見舞われてしばし音信不通となったため、 『あれが見納めやったんかな…』 と思った、と後で聞かされました。 この日、僕自身は無事でしたが、僕の見納めがいつ訪れるかを僕は知りません。 悔いない、恥じない日々を送ることを誓いたいものです。 #アキ浜田省吾
