
ご報告
こり
3月1日木曜日、「おでんのおじさん」を作詞作曲した父(こりパパ)が永眠しました。 2月22日に90歳の誕生日を迎え、「2という数字」の歌詞通りいくと、今月22日までは生きてくれているはず!と思った矢先でした。 昨年2月に大きな怪我をし、大手術と過酷な入院生活、リハビリを経て、リハビリの先生の言葉を借りると奇跡的に歩けるようになって5月に退院しました。 私がnanaを始めたのはこの頃です。 父の怪我によって私と父の関係は密接になり、父が愛し、私自身が大好きな「おでんのおじさん」をたくさんの人たちに聴いていただきたくなり初めて投稿したのが9月でした。 nanaでいろいろな人たちがコラボしてくださるのをとても喜び、楽しみにするようになり、また、皆さんのくださるコメントを聞いては喜んでいました。私も両親と共にそれを聴くのが楽しみになっていきました。 10月下旬に、父は今度は内臓の病気で緊急入院することになりました。 父の病状が深刻で父との別れが近いことを父も一緒に主治医から聞いた日の夜、気持ちが落ち着かずそれを振り払うようにnanaで連投。最後に歌ったのが、「どうにもとまらない」です。何故この歌?とおもうのですが、ざわざわした気持ちをいてもたってもいられなくて歌い飛ばした感じでした。 再び過酷な入院生活が始まりましたが、父の楽しみは、前回の入院同様俳句の新聞への投句、そして前と違うのはコラボしていただいた「おでんのおじさん」を聴くことでした。 「今日は、おでんあるか?」 病院へ行った時の合言葉になりました。 12月半ばに家で療養することを希望し、退院。主治医の予想をはるかに超え、90歳の誕生日を超え、亡くなる朝まで冗談を言い、旅立ちました。 2月の俳句の句会に参加し、詠んだ句です。 「卒寿まで カウントダウン 梅一輪」 亡くなる前夜に救急で入院したので私は仕事を休んで母と側にいました。ついさっきまで喋っていた父が急変し、看護師さんが緊急ブザーを押した瞬間、私は、おでんのおじさんを歌い始めていました。母も泣きながらありがとうと言いながら父の耳元で歌っていました。亡くなるまで耳は聴こえてるときいていたので、歌い続け、途中からスマホでnanaのプレイリストで皆さんのコラボを流しながら一緒に歌いました。 通夜葬儀では父が若い頃コーラスで歌ったシュスタコビッチの「森の歌」、そしてnanaに投稿した父の作品を流しました。皆さんとのコラボを流したかったのですが、許可を得てないしいろいろな状況を考え、私だけで完結しているものにしました。 葬儀での最後のお別れの時、流れている「おでんのおじさん」に合わせて、思わず母と一緒に歌いました。 父は命が終わる寸前まで、「おでんのおじさん」を聞き、私たちは、父の身体が永久に目前からなくなってしまう間際まで「おでんのおじさん」を歌い続けました。 nanaでの皆さんのコラボが父の生きる支えとなり、父の作品が私のnanaでの交流を広げてくれました。 長々と申し訳ありませんでした。 この文は父がなくなった夜中と通夜の夜中、父の横で打ち、葬儀の翌日の今朝、また打ち足しています。この文を打つことで私自身の気持ちをまとめていくことができました。 父の人生の最後に生きる支えと楽しみをもたらしてくださったnanaの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。 「おでんのおじさん」の再投稿は一旦は終わろうと思います。 もしよろしければ、プレイリスト「おでんのおじさんコラボ」 https://nana-music.com/playlists/1979996/ https://nana-music.com/playlists/1760181/ https://nana-music.com/playlists/1822396/ https://nana-music.com/playlists/3136839 「おでんのおじさんSimonさんバージョン」https://nana-music.com/playlists/1979996/ 新たに作った「こりパパありがとう」 https://nana-music.com/playlists/2092071/ https://nana-music.com/playlists/2300126/ https://nana-music.com/playlists/3092144 でお聴きいただければうれしいです。
