
アンマー(女編)【アカペラ】
RSPバージョン
ゆうじさんがなんと!!! 伴奏を付けてくださいましたっっ!! ↓↓↓ ゆうじさんによる演奏 https://nana-music.com/sounds/02f170ab/ かりゆしさんので感動して、歌おうと試みたけど音域で断念してしまい、、 今日、RSPさんのアンマーを知って(遅すぎた(-ω-;))歌詞があてはまり過ぎて勝手に涙が止まらず歌おうと思ったら伴奏ででてなかったので、、 またアカペラになってしまったのですが (;´・ω・) ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:.. 【歌詞】 居場所がないと決めつけて 嘘と朝帰りを繰り返し "おかん"でいっぱいになった履歴見ては 電源切りました それでもこんなバカ娘の たったひとつの夢を信じて あなたはいつもいつも側で 応援し続けてくれました アンマーよ 私はアナタに言ってはいけない 決して口にしてはいけない言葉を 加減もせずに投げつけては アナタの心を踏みにじったのに アンマーよ アナタはそれでも変わることなく私を愛してくれました 木漏れ日のようなぬくもりで 深い海のようなやさしさで 全部 全部 私の全てを包み込んだ 橙色染まる空の下 手をつなぎ歩いた渡月橋 今日も変わらず この胸に映し出してる ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:.. 私が小学二年の時 両親が離婚し、姉兄3人母に引き取られ。 母は働き詰めで家もなかったのでおばあちゃんとこや、いとこのお姉さんに育てられたようなもので。。 ずっとお世話になるのは迷惑と言うことで 私が小学5年の時に引越し、転校。 やっと借家に住めるようになったはいいものの、、 余計に母と過ごす時間は少なくなり 昼間、母がいる時にしか甘えられなかったのと 私が致命的なほど頭が悪く、、 コミュニケーションが上手く取れなかったのとで学校でのイジメで学校に行きたくないとダダをこね小学生で不登校に(笑) でも、、必ず運動会の時は欠かさず母は見に来てくれてたので嬉しくてその時には真面目に行ってたかな(笑) 引越しは中学までに覚えてる限り7回。 転校は2回。 小学校は3校行ったかなぁ(笑) 中学2年の時に母が再婚し、お陰で母との時間は多くなったが 反抗期に突入した私には必死に今までの時間を埋めようとする母が逆に鬱陶しいものに。。 義理父は昔ながらの人で食事の時はテレビ無しの必ず正座。 洗濯、ご飯作りは小学のうちから私達姉兄でするしかなかったので手慣れてはいるものの、 今までちゃんとした片付けの仕方を教わってなく自由奔放に生きて来た私たちには、急激な環境の変化に耐えられなくなり、兄は家出や事件を繰り返すようになり、18歳で帰ってこなくなる。 毎日の茶碗洗いや洗濯、綺麗に畳んで義理父のものを出しやすいようにしてきても、今までありがとうと言う言葉は言ってもらえず、して当たり前。 義理父の友達が呑みに来た時には、母は義理父達が呑んでる間はずっと台所へ立ちひたすらおつまみ作り。 座れるのは友達が帰ったあと。 父が母に対する扱いが家政婦と思えたほど、、 私の中学でのイジメが酷く、学校へ行くのを渋っていたら毎朝先生が家まで迎えに来る始末で。 ある時に1日だけでもいいから家にいたい、、と義理父に相談したら 「イジメられるんが悪いんじゃ!!!立ち向かっていけ!!」と休めず、、 しょうがなく駅の公衆電話で母のフリをして学校へ休みますの電話をするようになる。 (当時はまだ誰も携帯を持っておらず、大人がやっとポケベルを持てた時代) 当時のイジメは、、 ある女の子がイジメの対象になっており、私はその子と転校する前の小学校で1度だけ遊んで凄く楽しかった記憶があったので気にせず遊んでいたら、いつの間にか全クラス対 私とその子で分かれており。。 授業の一環で班を作ってしないといけないところでも仲間に入れてもらえなかったり、 イトコに話しかけてもハブられるから話しかけないでと言われ、、 有りもしないウワサ。 お金が盗まれる。 先生に叩かれるように仕組まれるetc…… 私は知らなかった。。 カースト制度があるってことを。。 田舎だったけど、自然とそうなったんだろうね。。 女子はまだしも、男子から受けた傷は一生忘れない。 義理父から見れば甘い私達を叩き直そうと叱ってたのだろうけど、 あまりの怒鳴り声に母と姉はPTSDを発症。 姉は泣き叫びながら裸足で玄関の外に出るのもしばしば。。 私は心臓が強かったのか父と喧嘩をするくらいはできたのだが、、 何かの発作で夜になると涙が止まらず、腕をカッターナイフで切りながら感情をコントロールするしかなかった。 なんで私はここにいるの!?生きてる意味あるの?!との問いに ただただ、、 母は私を後ろから抱きしめるしかなかったのだろう。。 義理父と私が喧嘩をすると毎回姉が止めに入ってくれてたんだけど。。 ある冬の時に私が母に対し、、 「何で私なんかを産んだの?!!生まれて来なければよかった!!!」と言う言葉が原因で義理父と殴り合いになった時に、毎回止めに入る姉にトバッチリがくるので姉は端へよけてたハズなのに 父から殴られ倒れ込んだ私を心配して近寄る母を私は突き飛ばし 突き飛ばされた母がストーブにぶつかり ストーブの上に乗ってたヤカンが倒れ 煮えたぎったお湯が姉の足にかかり大火傷、、 足の皮が広範囲で剥がれたのだけれど、庭で育ててたアロエを直ぐに取りに行った母の処置が早かったのか 治るのも早く綺麗になったのを見て安心したのを覚えてる、 それ以来、、 殴り合いの喧嘩をしなくなった。。 理不尽なことや悔しいことは沢山あったけど、義理父がいなければ常識的なことも分からなかっただろうし、生活ができてなかったと思う。 何も教わる術がなかったから。 高校に入り中退をしてしまい、バレエをしたいと言った時も、プロダクションや劇団に入りたいと言った時も、惜しみなくお金を出してくれて応援してくれた、、 ミュージカルやダンスではお金を取るまでにはなったが、 私の身体のいろんな部分がいきなり腫れたり動かなくなったりと、続けることが難しくなり趣味だけで終わってしまい、、 今はまた高校には行ってるけど、母の夢は、願いは何なのかなって考えてしまう。 再婚してから、、私との時間を必死に埋めようとしてくれたことを思い返す。 ことごとくはね返してきたけど、今では味わうことの出来ない幸せ、、だったんだなと、、 お母さん、ごめんなさい。 お母さん、ありがとう。。 ☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..
