nana

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息子が死んだのは5年前だった。 あっという間だったそうだ。 「だったそうだ」と言うのは、その時息子のそばにいなかったからで、私は実家の稲刈りを手伝いに帰省していた。 だからその報せを聞いたのは汗だくで、クタクタになって帰宅したすぐあとの午後8時半頃だった。 夫と息子。2人はこちらへ向かう道中の高速道路で事故に遭った。 警察の調べによると、ブレーキ痕が無いことから「居眠り運転」では無いかと結論付けられた。 単独での事故で、他人を巻き込まなかっただけ良かったねと私に聞こえないように周りは言った(実際は丸聞こえだったけど)。 重ねて、不幸中の幸いだね、と。 夫も、息子も、死んだ。 そんな事にもはや「不幸」だとか「幸い」とかいう言葉は相応しくなく思えた。 私は何故生きているんだろうと思った。 「何故」を辿るといつもそこに落ち着いた。 死にたい訳ではない。が、「何故」私は死ななかったんだろう。生きているんだろう。 その答えが出る前に、いつも疲れて眠ってしまった。 そして起きると、いつも激しい頭痛がした。 地元に戻った私は、そのまま地元の小学校に赴任した。 小学生達はいつも元気で、私はその元気を貰って生きていた。彼らがいなかったらきっと私はダメになっていたろうと思う。 子供は無邪気で、時に残酷だけど、その距離感が良かった。癒してくれたのだ。 そうして今年受け持ったのが4年生。 死んだ息子と同じ学年だった。 そうそう、こんな感じこんな感じと思い出す毎日。私は生徒に息子を重ねていた。どちらかといえば「意識的」に。 そうすることでそれは「仕事」を越えた何かになる気がしていた。そしてまた、そうしない訳にはいられなかったのだと思う。 そんな折、佐々田君という生徒が気になるようになった。 彼はいつも無表情で、友達が少ないわけでは無かったが、どちらかというと1人を好んでいるようだった。 中庭の桜のそばで本を読み、物憂げに何かを思案するその顔が、他のどの生徒よりも息子とオーバーラップした。 息子も、本が好きな子供だった。 夕食の間も本を傍らに置き、読みながら食べる事もあった。私や夫はそれを何度か叱ったが、返事はいつも上の空だった。 佐々田君は授業中、いつも窓から外を見ていた。ちゃんと聞いてるの、と小さく叱る事があったが、テストの成績は上々であったため、私は次第に何も言えなくなってしまった。 中庭の桜が葉桜を終え、すっかり新緑の色に染まったある日、いつものように木陰で本を読む佐々田君を見つけた。 声を掛けたが彼は生返事しか返さず、意識はまだ本の中にあるようだった。 そんな所も、息子と似ていた。 私は、愛しくて愛しくて、たまらなくなった。 そして、油断すると涙が溢れてきそうだった。 そんな感情を必死で堪え、その場を離れた十数秒後、ふわりと春の風が私の頬を撫でた。 その風のせいなのか、必死で我慢したものがそうさせたのか、私の頬は少し濡れているように感じた。 私はそれに構わずに歩いた。 予報ではその日から一週間、悪天候が続くらしかった。 遠く東の空には、厚く、そして濃い灰色の雲がこちらを睨みつけていた。 (つづく) https://nana-music.com/sounds/028afc93/ いやまだ続くのかよ…いい加減にしろよ…

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