
何のために
Hyt
#Hyt音声日記 音声なしのただの日記 BGM モーツァルト・アイネクライネ/オルゴール 2017/01/12(結局コレ完成したの20日ぐらいw) 全てオイラのノンフィクション。 今更(コレだけnanaにサウンド上げて)隠し事なんてありません。 想ったコトも書きます。 人生生きるのに100年ぐらいかかるとしても今までの人生振り返るのは1日あれば充分だ。 正直記憶は薄れてて全くないと言って言い程におとといのコトは覚えてない。 気分は悪い。最悪だ。生きていたくない。毎日ダルい。こんなオイラがしんどい。嫌になる。 もし、ここからの長文に付き合ってくれる人は読んでください。 大体の人がこの文字多さに引いたコトでしょう。 最近の悩みは音楽でメシが喰いたいってコト。 これまた最近働くコトが嫌になり音楽に逃げた、、、いや音楽がしたくて辞めた。 こんなコト誰にも言えないけど日記にでも記しておくか。 働いてない分ゆっくりと確実に言葉が頭の中に出てくる。 余談が多過ぎるがこんな文章を学生の時は紙にびっしり書きなぐっては捨てた。 でも今では時代も進歩し紙に書くより携帯で打つ方が効率が良くなった。 だが、紙に書かないとその時の感情が文字に現れないため見返した時面白くない。 ペンで書くと腕が疲れるが力を込めたり軽く書いたりできる、その点携帯は機器を持ちつつ液晶まで見ていて疲れる気持ちも入りにくい。 携帯なら検索や予測変換があるが紙は真っ白。 紙だと管理が面倒だが携帯なら何処でも運べる。 紙は破けても携帯の画面は壊せない。 短所もあれば長所もある、人も同じだ。 おっと話が逸れ過ぎだ無駄話がいつも多過ぎる、オイラの人生そのものかのように。 さぁ暇だしオイラの人生をここ(nana)に記して置こうかな。 コレ作ってる時の顔( ˙-˙ ) 2017/01/12の話 それではまずは今日1日から振り返ろうかコレが出来なきゃ人生を振り返るなんて遥か彼方だな。 オイラの今日1日は朝10時頃に目が覚めた。 実家に帰ってきており朝起きたら寝るまで1日中音楽を考えてた。 楽しかった、、、いや楽しい。 その堕落した日常のせいで昨日何時に寝て今日何時に起きたのかすらハッキリと覚えていない。 今日は引っ越しの準備だ。 仕事を辞めたオイラは職場の近くに住む必要はない、まぁ寮だから出ていかなきゃならないのだが。 突然な辞め方をした、行くのが嫌になった、今では何で行きたくなくなったのかも分からない、結局何もできない役立たずは社会不適合者であり、働きにくい、生きにくい。 誰にも相談せずに次の日の現場にオイラはいなかった、それだけ。 話しが長くなる一方だから先に進もう。 朝10時に起きたオイラの1日はゆっくりではなかった。 顔と口を洗い朝食を食べ電車に乗り、住んでいる実家から住んでいた寮に向かう。 頭の中にはずっと音楽が流れていた。 気分は良かったはずなのに心臓あたりが痛かった。 ゆらゆらと電車に揺られた。 一緒にいる母親との会話はほとんどない。 どうでもいいコトが所々に入るが、内の家族は全員優しい。 当たり前のコトだが、この家族と一緒にいられて良かった。 そして寮に着いたら荷物をダンボールに詰め込み次は住所変更だ。 通帳、転入届、転出届、退職届、まぁ色んな書類を書いた。 人といるのが怠(だる)いが紙に書く作業もちょっと怠かった。 今日1日節々(ふしぶし)でオイラがやる気のない態度を取っていたら、母親が怒っていた。 「あんた自身のコトなんだからね」 そんなニュアンスの言葉を何度も突き立ててくる。 母親は女なのに感情的になるコトが度々だ。 ひと言で言えば分かりやすい。 機嫌が良ければ笑うし、お腹が減ったらイライラする。 今の気持ちはやる気はない最低な心だ、生きてる価値が見出せない。 もう自虐は飽きた。 色々なコトが終わり帰りにファミレスに寄り空腹の腹を満たす。 学生の休日、外に出る機会はあまりなく昼間のファミレスはあまり入ったコトがなかった。 その頃夕方の4時でランチのメニューが頼めた。 母親もオイラも別々のランチメニューを頼んだ。 ファミレスのハンバーグは何度食べてもうまい。 その後は実家に帰り1日を無駄に過ごした。 語る程の内容じゃない。 1日を振り返るのにこんなに文字使うのにここから人生を振り返れるのか?まぁやっていこう。 0歳〜19歳(産まれてから〜現在)までの話だ。 0歳〜4歳(幼少期) 0歳〜4歳までの記憶はほとんどない。 自分の写真を見る限りはどこにでもいそうな子供だ。 確か10歳ぐらいから子供が嫌いになった。 今も変わらない、あの何の迷いもない目を見てるとムカムカしてくる。 あとは、公園で何かの遊具でひっくり返って頭を強打した記憶はある。 すごく泣いた。 4歳〜6歳(幼稚園) 幼稚園に入った。 入園してからの記憶もほとんどないが うっすらと残ってる、給食の時間に嫌いなトマトが食べれなくてみんなが外で遊んでるのにオイラだけトマトとにらめっこしていた昼休み、そのトマトをオイラに無理に食べさせようとした先生の顔、1番親しい友人、2番目に親しい友人、運動会で同じくらいの足の速さで競い負けたヤツの顔、やたらとオイラに引っ付いてきた女の子、そしてその友人、体動かすのが面倒くさくなって部屋から出なくなったあの日。 打ってたら思ったより出てきたな。 まぁコレぐらいでいいだろう。 6歳〜12歳(小学生) 小学校に入った。 子供の精神を形成する大事な時期と言っていいかもしれないな。 ひと言で表すなら『いじめ』という印象が強く残ってる。 もうひと言付け加えるなら『感情』かな。 この時期に自分のコトしか考えてなかったオイラが周りのコトしか考えなくなった。 人は偏ったらいけない、バランス良く生きるのが正解だ。 あっ言い忘れたが幼稚園でも小学生でも好きな子はいた。 それを誰かに言ったり態度に出したりはしなかったかな。 話が飛び飛びで申し訳ないが小学生時代はあまり良い記憶がない。 勉強も運動も好きじゃなかった。 大きな印象は4つぐらいだ。 親の離婚、引きこもり、いじめ、転校。 小2の頃親が離婚した。 原因は父親の金遣い、用はパチンコか。 母親が家から出ていった。 そこからの毎日の朝は姉も兄もオイラも各自で菓子パンかお茶漬けか何か喰って登校してたっけ? 兄弟は3人でオイラは1番下ですね。 今ではいじめだったのかすら分からないが、始まりは小4の頃の下校だったかな。 同じ帰り道だった、同じ名字だった。 それだけでウザい絡みをしてきた。 今思い出せば普通のコトだったのであろうが、あの時のオイラはとにかく考えが固かった。 周りのいじめと比べても大したコトじゃない。 オイラは話すコトが面倒くさかった。 そのオイラにただ仲良くなりたくて近づいてくる男の子。 あれが迷惑行為だったのであろう。 勉強も運動も一生懸命やったが心の底から楽しくはなかった。 ただ、時間が流れた。 小1〜小3ぐらいまでは外で遊んでいたがある日の昼休み野球をするかサッカーをするかでもめる。 今日は野球だった。 楽しくやれれば良いのにくだらないコトで争いが始まる、審判がいないからルールは何でもありか、自分の意見を押し通せば満足か。 所詮(しょせん)は子供の戯言(たわごと)だった。 小学生の頃そこまでは考えてなかったが、『この場にいたくないなぁ』『こんなヤツ等と一緒に遊べないなぁ』が正直の気持ち。 遊ぶと言えばオイラは学校以外の時間はゲームで自分を満たしてた。 ゲームの世界ではオイラが主導権を握り時間をかけた分強くなれるという裏切りがなかったからだろうか、朝起きたと同時にゲームの電源を付け深夜の布団の中で寝るのが先か電池が切れるのが先か、そんな毎日。 お陰様で宿題等の提出物なんかほとんどやらなかった。 だが日記だけは書いた。 いつも書くのは『今日も1日楽しかったです』。 何故(なぜ)か分からないが日記だけは出したかった。 記すだけで考えなくていい、勉強は考えなければならないが、日記は今日あったコトを書くだけだ。 オイラの毎日に書くコトはない、だから楽しかったと書いておくコトだけが薄っすらと残りそれが正解である。 えぇーと次は何話せばいいんだ。 まぁここまで見てくれた人はもう分かってるコトだろうが、しょうもないヤツだ。 話を進めよう。 小6になる前の春休みに引っ越しだ。 小2の頃出ていった母親の生活が安定してきたらしく、父親のいた家から母親の家に引っ越した。 引っ越しする最後の日みんなの前であいさつした。 5年も一緒にいたのに言った言葉は「今までありがとうございました、あっちに行っても頑張ります」確かこんな感じ。 いじめらしきモノはほとんど終わってた。 少し清々した。 春休み、夏休み、冬休み、長期休みは嫌いだった。 宿題が終わらないから。 でも誰にも会わなくていいコトは良かった。 引っ越しは人生で5回ぐらい。 そんでもって転校先での出来事だ。 場面は新しい学校の教室。 自己紹介で失敗した。 新しい担任の先生はオイラの両方の名字を知っていたらしい。 そしてオイラは「〇〇学校から来ました(前の名字)颯です」と自己紹介した。 そしたら先生が「ち、違うでしょ」と後ろから耳打ち。 「あっ」と思い出して「(新しい名字)颯です」と言い直した。 名字が変わる人の意味を後に知るコトになるが、この時のオイラは知らなかったな。 まぁ親が離婚したか再婚したかの2択だけど。 そんなコトは置いといて、新しい人に出会い好きな人ができた。 オイラは女の子を見る目が無いらしくどんな人でもかわいいと思ってしまうらしい。 顔、声、雰囲気、行動、話し方、等々、どこかを必ず好きになってその人に会う度にその好きな所を引き出したくなる。 オイラが好きになってしまった人は転校してきてよく話しかけてくれた子だった。 オイラからはほとんど話しかけない。 どうせ忘れる話しなどする意味があるのか、と思い始めた頃だったかな。 まぁ話しかけてくれたおかげで好きになれたし学校少しは楽しかったけど苦しくもあったな。 話がサバサバしてるがオイラはその人を約5年くらい気にしてた。 その子には好きだという気持ちを伝えはしたもうそれで満足してる自分がいてこれ以上は鬱陶(うっとう)しかった。 今になっては何モノでもない、もう吹っ切れた。 小学生の思い出等この先必要なモノではないな。 そんなオイラの口癖が「今日が1番楽しかった」。 12歳〜15歳(中学生) オイラの中で時間を特に無駄に使ったなぁと思う時間だ。 とにかく人数が多かった、おかげで目立ってる人の影に隠れれて楽だった。 1年生の始まり。 サッカー部に所属した。 小さい頃から周りの人がサッカー好きな人が多くて何か部活に入らないといけないというしがらみで何となく入った。 何となく入ったオイラは1年間やって続ける意味もなく何となく辞めた。 正直辛かった。 あの団体の中で話しをする相手もいないし、サッカーをするというよりはマネージャーみたいにサポートぐらいしかしてなかったし。 サポートしてる自分が楽だったが、周りのヤツからは『何でサッカー部いるだろう』という空気だけが流れた。 2年生の始まり。 大した印象がない、ぶっ飛んでる。 あっいや、大きな出会い2つあった。 1つはback numberとの出会いだ。 オイラが想ってる感情を代弁して歌ってくれてる錯覚に落としてくれた。 もう1つは家庭教師の先生。 兄との年が2歳離れていてオイラが1年生の時兄が中学3年生で高校入試だったのだ。 親の職場の知り合いの方が教えてくれるというコトで家に来た。 家庭教師という職業ではなく善意で勉強を教えてくれたのだ。 オイラと兄は家庭教師のコトを先生と呼んだ。 今になって思い返してみると母親と先生は一時期恋人関係と言えばいいのだろうか、親しい関係にあったらしい。 でなければ、毎日家に来たり夜ご飯まで一緒に食べたりはしないだろう。 兄の受験が成功しもう終わりなのかなぁと思っていたが延長でオイラの受験のために勉強を教えてくれるコトになった。 オイラは英語が苦手だったため英語を中心に教えてくれた。 2年生になり部活辞めたオイラは放課後からの時間が長かった。 学校から帰ってくると先生と勉強を始めた。 兄と一緒に勉強してる姿を見ていたので先生がどんな人なのかは大体分かる。 勉強は嫌だった。 だが、最初に一緒に勉強したのはギターだったのだ。 先生はアコースティックギターを昔から弾いていたらしい。 ギターに没頭した。 毎日学校から帰ってくるのが楽しみになった。 スピッツのチェリーを覚えるのに必死だった。 2年生に上がり学校での楽しみが1つ増えた、昼休みの時間に対局した。 同じクラスに将棋を指す友達がいてその人と仲良くなった。 それからなんとなく時は過ぎた。 ただ、【音楽がすきだった】 高校受験がやってきた、中3では塾に通い、家庭教師の先生も次第に来なくなり、オイラが知らない内に別れを告げていたらしい。 ギター二本置いて。 15歳〜18歳(高校生) どうにかして生きてた証拠を残したいのだろう。 必死だな、惨めだな。 思ったコトを忘れるとお腹が痛くなる。 高校に入るとこんな自己嫌悪的な考え方が頭に染み付いてきた。 段々と考えは募り焦りは増した、それと同時に自分を評価しなくなった。 1年目は慣れ、2年目は余暇、3年目は狂い、と言った所か。 1年目 何故か部活動に入った、中学の時にあれだけスポーツは向いていないと自覚したはずなのに、もう忘れやがったのか。 バレー部に所属した、人数が5人しかおらずあとひとりいればチームとして成立したらしい。 そのエサに飛び付いたのがオイラだ。 楽しくはなかった、入ってからなんで入ったんだろう、とオイラの人生そんなもんばっかだ。 楽しめなかったのはオイラ自身の所為だって?嗚呼そうですね否定するつもりはないですね、全部オイラの選択ミスだ、周りの人の所為にする人程無様な生き物はいない。 考えが豊かな人間は自分を肯定化したがる。 醜い。 2年目 3年生が部活をやめて部員は3人、先輩がひとり辞め2人、そしてオイラもやる気なくなって辞めた。 最後までバレーが好きでひとりでも練習し続ける先輩の姿を見るのは少し辛かったが、そんな感情よりも放課後に夕方まで時間を有効に使えてないクソみたいな時間に耐えられなかった。 部活を辞めてからもクソみたいな時間は続いたが、部活を辞めたあとは勉強をした…訳はなく。 バイトを始めた、ある飲食店だ。 放課後時間が余り音楽にも集中できた、勉強は学校でしかしなかった…学校でもしなかった。 授業中も歌詞を考えるのに忙しかった。 この時期にamazarashiに出会い世界がまた広がったと思ってる。 感じ方想い方が少し変化した。 良い意味でも悪い意味でも偏った考え方は辞めた。 行き場のない想い達の行方(ゆくえ)をamazarashiは示してくれた。 柔軟で清らかな気持ちになれたと思う。 そしてもう1つ出会いがあった。 心理カウンセラーだ。 内の高校では『いじめ』や『ストレス』ケアの一環として 1ヵ月に1度カウンセラーが来る。 行ったきっかけは色々な人と関わるカウンセラーの先生にオイラの曲がどれだけ通用するのか知りたかったからだ。 オイラが作った音楽は2人の友人には聴いてもらっていたがそれ以外の人には聴いてもらったコトがなかった。 とにかく意見が聞きたかったのだ。 話は簡略化するがそのカウンセラーとはこっから上↑に書いてあるようなコトを全部話したような気がする。 それだけじゃないもっといっぱい話したほとんど一方的に、時間が早かった、カウンセラーの先生は1人に対して長くて2時間、オイラの1ヵ月を毎月話した。 簡潔に話したつもりが気付けば時間が経ってた。 自分を伝えるコトに必死らしい、意地でも何かを残したいらしい、できれば悪い残り方ではなく良い残り方であってほしい。 そんな汚ない人間です。 2年生で1番印象に残っているのは文化祭のステージ発表、自由参加でたった15分だけオイラ時間を与えられた。 今では練習して覚えた曲やギターも何も思い出せないが、前日のリハーサルがボロボロだったけどそのリハーサルでダメだった所をほぼ徹夜で頭に叩き込んで当日やりきっただけあって一切後悔していない。 だが結果はどうなのか分からない、どれぐらいの人が聴いててどれぐらいの人が感動しどれぐらいの人に伝わりどれぐらい正解だったのか。 あの判断で良かったのか、前に進むしかないのか。 どうでもいいと言って投げ捨てるか。 どちらにせよ終わったコトだ、どちらにせよ楽しかった。 3年生 3年生になっても バイト、カウンセラー、音楽は辞めなかった。 今改めて思うと高3のオイラは頑張ってたよ、自分で自分を褒めておこう。 中学3年生でも高校3年生でも、きてしまうのが進路選択だ。 中3での進路選択は消去法と言っても過言ではなかった。 周りには『普通校』『工業校』『農業校』『商業校』大体この4つに絞られたが、オイラの選択肢としては2つ普通校か商業校、だが学力的に普通校は無理だ、結果商業校に行った。 迷いはなかった、オイラはどこにいてもどうせ変わらないだろうと、悪い意味でも良い意味でも思っていたからである。 おっと高3の話でしたね。 中3で迷わなかった進路選択、だが高3での進路選択は決まらなかった。 高3の文化祭の為に時間は全部費やした。 第1回の就職試験、周りの人が面接練習やってる中オイラはギター練習、先日就職試験の合格通知を得た人がいる中オイラはステージの上で歌を歌い一体何を得たんだ? もし受験生が見てるなら 頑張れ、負けるな、挫けるな。 最後まで全力で戦ってほしい、全力で生きてほしい。 だが受験だけが人生の全てではない、受験以外に誇れるモノがあるなら受験なんか投げてしまえ。 オイラが言えるコトはこれぐらいか。 そんで文化祭が終わったオイラは、ステージで歌うコトももうできない以上ここでやるコトはない。 就職試験を始めた頃には周りはほとんど決まってた。 面接練習をしたくなかったオイラは就職試験にすら行かせてもらえなかった、だが痺れを切らした担任の先生がぶっつけ本番で行ってこいと送り出してくれた。 オイラはある観光地のホテルを希望した、特に理由はないが求人票からてきとうに選んだ、あの時は口が裂けてもてきとうなんて言えないな。 そして当日、観光地ってだけあって気分は良かった面接練習なんてほとんどしてないし清々しい気持ちだけぶつけてこようぐらいの感覚。 試験内容はこうだ、①筆記②作文③面接 ①筆記に自信はない、なんせ頭が悪いから。 だが幸いなコトに相手の会社が筆記の用紙を準備していなかったらしくスルーしたのだ。 ラッキーっていう感情を味わった後に大丈夫かこの会社?という鈍い空気が漂った。 ②次に作文なんだったっけ題名は思い出せないが、大体で言うと『この社会についてどう思いますか?』みたいな感じだったと思う。 文を書くのは好きだったので、オイラなりにオイラの意見で書いた。 ③そして最後の面接だw コレがもう何も考えなかった、最初部屋に入る時から緊張感などこの部屋には一切なかったとオイラは認識していたから楽しく話したそれだけ。笑 もう1人受験者がいたのだが、オイラとは真逆で文章を作り込んできてて本を読んでる朗読してるかのごとく語っていた。 まぁオイラの就職活動はこんなもんですね。 あとはホントくだらないコトばっかなので。 それ言っちゃうと人生くだらないコトの積み重なりだろって話ですかね、はい。 まさかこの時は入って1年もしない内に辞めるとは思ってなかったですけど。 えぇーとあとは、自動車学校ですかね。 コレがまた最悪で腐ってましたね。 強いて座学は精一杯目一杯頑張りましたよ、車乗るのなんて怖くて仕方ないし自転車もバイクも絶対乗りたくなかったですし(まぁ今は全部乗れますけど)。 とにかく座学なんて何にも関係なかったっすよ! 車乗った当日担当の先生が超イライラしてるし! 全然うまくいかねぇし、腹立ったわチクショー! ってコトでとにかく辛かった。 人生で1番嫌いな時間だったと言っていい。 車の免許取り消しになったらホント取り直したくない! ってなコトでオイラの高校3年間ですかね。 そんでもって社会人突入ですな。 嗚呼ここまででもかなり長い (´◉◞౪◟◉) ドヤッ! 18歳〜19歳(現在) 社会人になった、職業柄でいうとホテルマンと名乗っておこう。 ちょっと違うかもしれないが辞めた今にとってはどうでもいいコトだ。 その辞めるまでの経緯を少し話そうかな。 辞めるまでの経緯…そんなモノあったのか 今まだ辞めたばかりでちょっと話がまとまりませんねw 働いてる時期は職場の近くの寮に住んでおりましたが、現在引っ越しまして今に至るという話ですね。 こっちの生活は金を使いたくない、頭では頑固な一点張り。 1日はカップ麺2つ200円あれば足りるだろう。 そして今、ある曲を完成させたい。 人生を全部をかけるようなそんな曲を作って、歌って、そしていつかみんなで笑いたい。 早くこの曲を完成させなければこの先には進めない、その為にはこの今までの復習を終わらせなければ。 そして復讐も。 もうこんぐらいでいいかな。 かなり満足だ、こんなに時間をかけて自分を振り返るコトが今までできなかった、いやしなかった、いや実際は毎日やってたのか。 コレでいつ死んでも遺書としても残るかな、まぁ何にせよ光あれ。 優しい人になって なんて言わないから 傷付ける人にはならないで 20歳(未来) まだ未来は誰にも解らない オイラは 歌を手にしたい、鬱病になりたい それだけだ。
