第5話「死ぬか、生きるか、珈琲か」(序章)
秘密結社 路地裏珈琲
第5話「死ぬか、生きるか、珈琲か」(序章)
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昼間スタイリッシュだったはずの都会風景が、夜になって急に化けの皮を脱ぎ捨てた。
霧雨で湿って、墨をぶちまけたように黒々と艶めく道路の片隅。植え込みでは、潰れた缶、酔っ払い、喧嘩でやられた若者が一緒くたに捨て去られている。電柱と変わらない頻度で生えたビルの間には、サーチライトと、トーンの違うサイレンが、不穏に反射しあって、形を潜める気配はない。
人もまばらな最終便の都営バスが、停留所から走り去った頃。中心部に向かって何本も並行して走る、舗装された道路の一本から、横っ面を殴られた建設会社のいかついワゴンが数台、秘密結社の面々を積んで乗りつけて来た。
降りて早々、秘密結社達の目の前に立ちはだかったのは、今まで、その場に居合わせた誰も見たことのない、巨大な高層ビルだった。
廃墟と化したフロアと、煌々と不夜の輝きを放つ窓の群れが層をなし、この世の苦楽の全てを詰め込んだ混沌の住処。
これこそが、悪党の街“ニュー・コフィンズ”を象徴するランドマーク。違法建築の限りを尽くせし、現代に蘇る九龍城、“バベルの塔”である。これから一同は、奪われた宝物を取り返し、今は亡きテルの恋人の無念を晴らすため、頂上で待つ化け物を退治しなければならない。
「帰って来ちゃったなぁ、この街に」
さりが、目深に被ったフードの襟元で、そっとこぼした。
昨晩、サトウが船内の人間、人ならざるもの、全てを呼び集めて、ホールで語ったことを思い出す。
まだ若く、どん底の生活から這い上がった頃。挫折を乗り越え怖いもの知らずとなった彼に、お灸にしてはキツすぎる恐怖心を植え付けた、恐ろしい相手がいた。その男は、この街を根城にするギャング団のトップ。当時、連戦連勝、敵なしだったサトウの騙しのトリックを打ち破り、あわや命を奪う寸前まで追い詰めたという。
彼の名は、イヴ=アダム。この街の全てを牛耳る、夜の覇者。
屈辱の命ごいを経て隙を見出し、逃げ出したサトウはその後、一度はカモにしてやったはずの、彼の傘下、ならず者共の恨みを買い、散々追い回される羽目になった。
サトウは言う、あの時舐めた硬い革靴、クリームの香りが、この世で一番まずくて苦かったと。
「正直、僕は二度とこいつに会いたくなかったよ。命の危機に関して言えば、博物館のじいさんに追い回される日々の方がよっぽどマシだったとすら思う。君たちと一緒じゃなきゃ、僕はここに自分の足腰だけで立てていたかどうかも怪しいや」
「見ればわかるって。顔で笑えても、体がいうこと聞かない...そんな状態で、アンタのことほったらかしにするような意地悪はしないから。安心してよ」
「恩に着る」
頂上のVIPルームへ辿り着くには、特別なエレベーターを稼働させる必要がある。そしてそのエレベーターを動かすには、特定のフロアで管理された、ブレーカーをオンにしなければならない。ブレーカーを管理するのは、件のならず者達...つまり、これから起こる争いは、十数年越しの大抗争リターンマッチというわけである。
さりからすれば、このところ暴れるチャンスなんかなかったものだから、己の成長を試す絶好の機会である。その上、最愛の雇主モミジが同行していて、目の前で腕っぷしを披露することができるとなれば、少なからず燃えるシチュエーション。
後ろに控えている彼女の小さな手をとり、エスコートを進み出るつもりで“お嬢”と言葉を発したが......その呼びかけに答える声は、無かった。
「お嬢?」
途端に、勘の良いさりの背に寒気が走る。決して取り乱すことはなく、冷静かつ機敏にワゴンの扉を薙ぎ払い、不在を確認した瞬間、開けた方と反対側の扉から鼻についた、仄かな薬品臭に眉を潜め舌打ちをひとつ。
おそらく到着後、車から降りるタイミングに乗じた犯行だろう。
やられた、待ち伏せだ。すでに戦いは始まっていたのだ。
ざわめきが走り、末っ子の辻斬娘達から向けられた不安げな視線に首を振るも、まあまあと宥めて間を縫う。
携帯に着信した不穏な電話と、それに向かって珍しく語気を荒げて噛みつき返すサトウの応酬を遮って、さりの腕がスピーカーのボタンをクリックした。
「誰だか知らないけど、お嬢を狙うなんて随分お目が高いごろつきだね。よーく首洗ってまっててよ......全員、床とキスしてねんねさせてやるから」
よく尖った犬歯が、怒りに任せてつり上がった口角の下で、白く、鈍く、光っていた。
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悪党の街編がスタートします。
まずここからは、事前に提出された歌からイメージされた、悪党達との短編をお届けします。
秘密結社達の大抗争、勝敗の行方やいかに。
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