さよならのかわりに、花束を
花束P/キャプション:上野
さよならのかわりに、花束を
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#七色連歌 #ぼくらのイシ
ウィリアム・エドワーズ:一慧
「このプランターとても年季が入っていますね」
ウィリアムの庭がみたいと、やってきた研究員は、しっかりと手入れされた庭を見て感嘆の声を上げた。そんな庭の端にある古びた小さな丸いプランターを見つけて、そう問いかけた。
「ああ、それは、大切な花なんだ」
「大切な花…?」
「そう、僕にとってとても大切な花」
まだ蕾のままのその花の名は『ゴデチア』
ウィリアムにとって、かけがえのない花である。
出産を控えた若い夫婦が、ある日1つのプランターを買った。緑の石を持ち、植物が好きな父の影響で、2人は花を育てることにした。どんな花がいいか、2人は悩んだ。これから生まれてくる子どもを思い、どんな形がいい?どんな色がいい?花言葉は?2人は悩みに悩んだ。
『これにしよう』
彼が1つの種を手に取った。その種は、彼がプロポーズをする時に送った花の種だった。その言葉に彼女は力強く頷いた。
それから2人は毎日花の世話をした。水は勿論、日当たりや湿気に気を付け、虫の駆除も欠かさなかった。そして、その日あったことを必ず花に話しかけた。
『今日はたくさんお腹を蹴るの』
『きっと男の子ね』
『貴方が咲く頃に、この子も生まれるそうよ』
『楽しみね』
彼女は、我が子の報告をいつもしていた。しかし、中々花は咲かなかった。
『どうやら子どもは男の子らしい』
『名前は何にしよう。格好いい名前がいいかな』
『キミが立派な花を咲かせるように、立派な大人にして見せるさ』
『早く会いたいなぁ』
彼は、我が子との未来を語った。しかし、中々花は咲かなかった。
時には小さな喜びを見つけ、笑いあった。
時には2人で喧嘩をし、その愚痴を話すこともあった。
時には悲しみに触れ、涙をこぼすこともあった。
辛いことも楽しいことも、全てを花と共に過ごした。
それでも、花が咲くことはなかった。
しかし、新しい命が2つ、芽吹いた。
大きな産声が天へと響いたその時、頑なに閉ざされていた蕾が花開いたのだ。それはまるで、2人の子どもが生まれてくるのを待っていたかのように、ゆっくりと花開いたのだ。
2人はとても幸せだった。生まれてきた新しい命と、大好きな花を見つめ、とても幸せだった。
だが、幸せは長く続かなかった―――。
2人は病に倒れ、呆気なくこの世を去ってしまった。
残された子どもは祖父に引き取られ、花は、プランターに種を残した。
そして時は過ぎ、子どもは大人へと成長した。緑の石を持ち、植物が大好きだった彼は、立派な植物学者になっていた。植物園のような研究所を開き、研究員にも慕われていた。そんな彼はある日、庭の隅に置いてあった小さな古いプランターを見つける。祖父が両親から亡くなる前に預かったと言っていたプランターだった。乾ききった土の中には花の種が残っていた。顔も声も覚えておらず、どんな人だったのか知らない両親。知っているのは、この花を自分のために育てていたことだけ。この花なら、両親のことを知っているかもしれない。幸いなことに、彼は植物の声を聞くことが出来た。彼はプランターの土を入れ替え、この花を育てることにした。毎日水をやり、水はけのよい日なたで育て、土壌も改良し、(粘土質なものよりも川砂のようなものが向ている)害虫であるアブラムシも、こまめに駆除した。そして毎日話しかけた。
「どんな色なの?」
「どんな形なの?」
「キミの花はきっと綺麗な色をしているんだろうね。なんだか、そんな気がするよ」
「早く会いたいなぁ」
その姿はまるで女性を口説いているようだと、遊びに来ていた研究員にからかわれることもあった。そんなからかいをかわしながら、彼は毎日話しかけた。蕾が花開く、その日まで、ずっと―――。
そして、その日は突然訪れた。いつものように水をやり話しかけていたその時、蕾が花開いたのだ。まるで眠りから覚めるようにゆっくりと開いたその花は、上の花弁は赤に近く、下の花弁は淡いピンクと、綺麗なグラデーションを織りなしていた。その綺麗な様に、彼は思わず息をのんだ。
『こうやってお日様の下で咲くのは久しぶりだわ』
優しく、ふんわりとした可愛らしい声が耳に響く。
『私を育ててくれてありがとう』
「いえ、どういたしまして」
『土の中はとっても暗くて冷たかったの。あの2人が死んでしまってから、もう、咲くことはできないかもしれないと思っていたけど、また花を咲かせることが出来て嬉しいわ』
太陽に照らされた花がそよ風にユラユラと揺れた。
『大きくなったわね、ウィリアム』
その言葉に、彼は目を見開いた。
『どうして知ってるの?って顔してるわね。知ってるわよ。だって、貴方が生まれる前から、私は貴方を、貴方のご両親と一緒に見てきたんだもの。私、貴方が生まれてきた時に一緒に咲いたのよ。凄いでしょ?』
彼の動きが止まる。そんな様子を気にすることもなく、「彼女」は続ける。
『貴方が生まれてくるからって、2人は私を買ったの。理由は「花言葉」かしらね?お父さん、お母さんにプロポーズした時にも買っていたから、きっとそうね。毎日毎日、貴方が生まれてくる日まで、貴方のことを話していたのよ。いえ、生まれたあとも、自分たちが病で倒れたあとも、ずっとよ』
彼の頬から、一筋の滴が流れ落ちる。
『2人とも、言っていたわ。幼い貴方を残して、先に逝ってしまうのがとても悔しいって。けれど、死んでしまうからって、その『愛』は決して変わることはないって』
我慢していた声が、嗚咽がこみあげ、両手で顔を覆った。
『「いつか大人になって、植物に興味を持って、この花を育てる時が来たら、きっと私たちの想いが届くわ」…そういっていたの。ウィリアム、貴方はちゃんと愛されていたわ。『ゴデチア』の私がその答えよ』
「愛されていない」と思ったことはない。けれど、明確な、形のある「愛」を、両親から直接受け取った記憶はない。その記憶はあまりにも薄く、儚く、靄がかかっていて思い出すことは出来なかった。しかし、その「形ある愛」が、今目の前にある。長い年月をかけ、亡き2人の想いを咲かせ、今、ウィリアムの目の前にあるのだ。
そのまま地面に膝をつき、ウィリアムは声をあげて泣いた。溢れ出す涙は雨のように地面を、ゴデチアを濡らし、潤す。そして、長年乾いていたウィリアムの心をも濡らし、潤したのだった。
そのあと、たまたま訪ねてきた祖父に見つかるまで、ウィリアムは泣き続けていた。それも、今ではいい思い出だ。庭に咲き乱れる花々を見つめ、ウィリアムは大きく息を吸った。甘い花の香りに混じる、青臭い草のような匂い。もうすぐ夏が来る。ゴデチアもそろそろ花を咲かせるだろうか。
「あれ、そういえば、ゴデチアの花言葉ってなんでしたっけ?」
花を覗く研究員に、ウィリアムは細く微笑む。
「『変わらぬ愛』…だよ」
プランターのゴデチアが風に吹かれてユラユラと揺れた。
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