「死にたがらない奴らが死にたがる奴らを迫害した。」
この言葉が歌詞の中で一番僕の心に刺さっています。僕は昔も今も、、、「死にたがる奴ら」
だったので、時には「迫害」されてきました。
誰もが、、
死にたいなら死ねばいいじゃん?
生きてる意味ないなら死んだほうがマシだね。
勝てないんだったらもう、お前いらないから。
「君、、、いたの?」
そんな言葉を「僕」に投げかけてきました。
罵って蔑んで、、、、
そうやられて生きてきた僕たちには何が残るんでしょうか?何を糧にして生きていけばいいのでしょうか?
「僕は」生きてなくて「誰か」が生きてるならどうすればいいんでしょうか?
仮面を被った「誰か」がいて。その裏には周りを殺したくなるほどの「僕」が存在して。
楽しい時は楽しい。苦しい時は苦しい。
そんな当たり前のことがどうでもよくなって、、、「僕」が誰かわからなくなったことがあります。
それでも人は生きなくちゃいけないから、、そんな自分を否定されたくない、、そう感じます。
ですが、否定されたくないと感じるからこそ僕等は「生きてる」と僕は思います。
どんな綺麗な世界でも僕は世界を滅ぼしたい。
どんなに汚い世界でも僕は世界を滅ぼしたい。
そして、「夢にあふれた歌」を歌っていきたい。
「夢にあふれた歌」それを皮肉的に歌っているのもこの楽曲で、肯定しているのもこの曲です。
空っぽな世界。社会。街並。そんな「空っぽになった」ことから始まって、作られた曲なんだろうなと僕は思います。
主に二番の歌詞の話を書きましたが、この曲の一番目の歌詞には、「武装解除」という言葉が出てきます。
優しい人なんていない。人を優しいと感じるのならその人があなたに対して「武装解除」しただけなのだと。
そんなことを歌ってくれています。
人見知りが「武装」かもしれませんし、上辺の付き合いが「武装」かもしれませんし、踏み込んだら服を着ている状態が「武装」かもしれません。
僕には断定は出来ませんが、そうゆうことを踏まえての「武装解除」なのだと思います。
本当に長々とすみません。色々脱線してるかもしれませんが、、、。
毎度のことながらここまで読んでくださった方、聴いてくださった方に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございます。
心からこの曲が誰かに届くことを願っています。
【歌詞】今回は二番からです。
→耳を塞いだって ざわめきは聞こえてくる 酸性雨で花は枯れた
明日咲くはずの花は枯れた
意味のないことばっかりだ 意味ばかり求めすぎるから
トンビは山に鳴いた もう帰れないと泣いた
掃き溜めみたい憧憬も 遠くからは見とれていた 憧れが駆け込み乗車
いたたまれなく頭を垂れた
絶望と君、隣り合わせ 自暴自棄とは背中合わせ がらんどうが乗り合わせ
乗り過ごしたんだ幸福を
空っぽな奴ほど詩を書きたがる ほんとそうだよな ほんとそうだよな
傷ついたなんて言わないぜ けど痛くないわけじゃないよ
優しい人なんていないぜ 武装解除しただけ 空洞空洞
僕らが野垂れ死んだって その頃には忘れるくせに
「信じてる」も「愛してる」も オーナメント巻いてる空洞空洞
【二番】何にもやる気が起きないよ やりたいことなんてないよ
反省なんかもうしないよ 責任なんてとらないよ
別れた人はもう忘れた でも忘れたこと忘れない 亡霊と僕ら生きてる
つまりは憑りつかれてたんだよ
送電鉄塔 原っぱで口ずさもう 夢にあふれた歌 夢にあふれた歌
死にたがらない奴らが 死にたがる奴らを迫害した
翌日の某コンビニで マシンガンは品切れ 空洞空洞
君の骨は拾えないぜ この命使い果たすまで
それを使命と呼ぶんだよ そんな訳ねえよ 空洞空洞
離れるものを留める術それすら持たない僕らは 泣き言ばっかを歌う
最近街でよく流れる流行歌 あれだってそう 誰だってそう
街はがらんどう 巨大な空洞
車道の側溝 自販機の横 笑みの喉元 君の足元
夢、希望も恨みつらみも 「君に会いたい」も「くたばれ」も
詰め込んだ火炎瓶で 世界ざまあみろ 空洞空洞
みんな死んだ焼野原で めでたしめでたしで終わり
そうだったらいいのにな なつかれちまった 空洞空洞
【amazarashi前作】フィロソフィー
https://nana-music.com/sounds/03431fb9/
【なんでもないや】https://nana-music.com/sounds/0355f547/
【前作】栄光の架橋→https://nana-music.com/sounds/03541ec3/
#amazarashi #空洞空洞 #ぼーやん #秋田ひろむ
コメント
まだコメントがありません